優生保護法を悪用し人々を殺害しているのは群馬人脈と李家の一族である。

こんばんは、9月になったとたんに、雨になり、気温も大幅に低下致しました。恐らくケムトレイルをばら撒いて気象操作しているのでしょう。

イルミナティは庶民に何が何でもワクチンを接種させて殺したいらしく、彼らには焦りが見られます。とくに「デマ太郎」と言われる河野太郎は官僚に明らかにパワハラ行為をしていると告発されています。

河野太郎つぶしの一環とも言われていますが、もしかしたら河野と仲の悪い竹中平蔵あたりがやっているのでしょうかね?

医療関係者が殺人ワクチンをごり押しして、庶民から嫌われつつありますが、ワクチンを特にごり押しているのが産婦人科医達ら、日本産婦人科学会、日本産婦人科医会、日本産婦人科感染症学会ですが、特に 日本産婦人科医会 は実は群馬人脈と李家と繋がりがあることがわかりました。

公益社団法人日本産婦人科医会(にほんさんふじんかいかい)は、1949年に谷口弥三郎が中心になって組織した、産婦人科医が加入する職能団体。母子の生命健康を保護するとともに、女性の健康を保持・増進し、もって国民の保健の向上に寄与することを目的としている。

沿革
昭和 23年(1948) 優生保護法成立 各都道府県に母性保護医協会設立
昭和 24年(1949) 日本母性保護医協会 全国の優生保護法指定医師を以て組織
昭和 27年(1952) 社団法人日本母性保護医協会
平成 6年(1994) 社団法人日本母性保護産婦人科医会
平成 8年(1996) 母体保護法成立
平成 13年(2001) 日本産婦人科医会

引用元:日本産婦人科医会 Wikipedia

日本産婦人科医会を組織化したのが、谷口弥三郎という人です。河野洋平に似ている気もしますが。

谷口弥三郎

この谷口弥三郎は福田昌子という人と優生保護法制定をしたと言われています。

谷口 弥三郎(たにぐち やさぶろう、1883年8月13日 – 1963年8月19日)は、日本の政治家、産婦人科医師、また医学者。元熊本県立医学専門学校(現熊本大学)教授、元久留米大学長。日本医師会会長、参議院議員。「不良な子孫の出生を防止する」として、太田典礼、加藤シヅエに一時提携をもちかけながらその影響を排除しつつ、福田昌子等と共に 優生保護法の成立に深く関わった。また、熊本県におけるハンセン病患者隔離政策の中心人物である[1]。

引用元:谷口弥三郎 Wikipedia

この日本産婦人科医会の前身が、日本母性保護医協会です。

日本母性保護医協会は、1949年4月、前年に制定された優生保護法12条に基づく指定医師の団体として設立された産婦人科医の開業医団体。通称は日母。現在の公益社団法人日本産婦人科医会である。

目的と事業は、「一、母性保護に関する統計の作製」、「二、優生保護に関する学術の向上研究」、「三、優生保護の一般的普及徹底」、「四、会員各自の品位の向上」、「其他本協会の目的達成に必要なる事績」などが挙げられた。

発足時の役員は次のとおり。会長は谷口弥三郎(熊本)、副会長に福田昌子(福岡)、久慈直太郎(東京)、秋山勝(静岡)、菅野力(京都)、渡辺英吉造(広島)、長谷川繁雄(東京)、安藤画一(東京)、荘寛(東京)、森山豊(東京)らである。顧問は高橋明(日本医師会長)、東龍太郎(厚生省医務局長)、三木行治(厚生省公衆衛生局長)、参与は舘稔(人口問題研究所総務部長)、瀬木三雄(厚生省技官)、牛丸義留(公衆衛生局庶務課長)、安倍雄吉(厚生省技官)らであった。

優生保護法指定医師は同法に基づいて、人工妊娠中絶、優生手術(ただし、中絶手術と異なり、優生手術は指定医以外でも実施可能)などを行った。日母は優生保護法にまつわる政策領域において厚生省を凌ぐ実権を有した。

また、1950年代半ば以降は、参議院議員でもあった谷口弥三郎の選挙支援団体としての性格を鮮明にし、谷口の死後も丸茂重貞などのロビイストを国会に送り込むことなどした。

1963年の谷口弥三郎死去(後任は森山豊)、中絶横行に対する産婦人科医批判の高まりを背景に、1964年から鹿児島の遠矢善栄の発案をもとに、おぎゃー献金を全国展開。皇室や芸能人もキャンペーンに利用した。皇室では皇太子妃(美智子妃)、秋篠宮妃が関与し、芸能人では寿美花代、司葉子、アグネス・チャン、安室奈美恵が献金の宣伝に加わっている。 おぎゃー献金は現在もその主要な事業である。

1970年代、80年代は、優生保護法から経済的条件に基づく中絶を規制する改正の動きに強く反対する。これはウーマンリブ、女性解放団体や障害者団体などとは全く一線を画する、優生保護法、優生思想の擁護、胎児条項の導入支持に根づいた動きであった。1999年は1996年に優生保護法から改正された母体保護法への胎児条項挿入を試みるも、障害者団体等の強硬な反対に遭い、断念している。 2001年に、日本産婦人科医会と改称。

引用元:日本母性保護医協会 Wikipedia

真ん中あたりに注目頂きたいのですが、谷口弥三郎の選挙支援団体としての性格を鮮明にし、谷口の死後は丸茂重貞というロビイストを送り込んだとあります。

この丸茂重貞という人物は何者なのでしょうか・・・

丸茂重貞はウィキにもあるとおり、群馬県出身の福田派の議員です。福田赳夫と関係がありました。つまり群馬人脈ということになります。

丸茂 重貞(まるも しげさだ、1916年5月29日 – 1982年7月23日)は、日本の医師、政治家である。自由民主党参議院議員(4期)。位階は従三位。勲等は勲一等。環境庁長官。日本医師会をバックにして参議院議員を4期務めた。所属派閥は福田派。青嵐会の結成にも参加した。

人物
1916年生まれ、群馬県吾妻郡出身。群馬県立高崎中学校を経て、1940年、東京医学専門学校卒業[1]。医師免許取得後、同年10月応召。

終戦後は、群馬県群馬郡滝川村で内科医として開業[1]。1957年、日本医師会理事に就任。

1962年、第6回参議院議員通常選挙に全国区から立候補して当選、参議院議員となった。1968年の第8回参議院議員通常選挙では選挙区を群馬県選挙区にうつして再選。さらに1974年の第10回参議院議員通常選挙では選挙区を全国区に再び戻して再選された。

大蔵政務次官、参議院大蔵委員長などを経て1976年に成立した三木内閣改造内閣で環境庁長官に就任。1980年、第12回参議院議員通常選挙で再選されたものの、在職中の1982年、クモ膜下出血のため虎の門病院(東京都港区)において死去した[1]。

引用元:丸茂重貞 Wikipedia

で、福田赳夫といえば、中曽根康弘、村上正邦と共に優生保護法改正反対(妊娠中絶反対)を主張したことで知られています。

さて、優生保護法改正などを目指して、1964 年に「生長の
家政治連合」を組織しロビー活動に勤しんできた生長の家は、
ついに 1980 年の衆参ダブル選挙において、熱心な信者、村上
正邦を国会へ送り込むことに成功する。村上は、教団の二大目
標である、明治憲法復活と優生保護法改正に向けて、「生長の
家政治連合国会議員連盟」を発足させ、1982 年3月の同総会
には福田赳夫や中曽根康弘ら約 200 名の国会議員が参集した。
同月、参議院予算委員会にて村上は、優生保護法にある経済条
項の削除を主張した。その際、村上は、議場に胎児の写真パネ
ルを持ち込んで見せたり、中絶反対の歌の歌詞を披露するなど、
パフォーマンスを行ったといわれる。

引用元:「優生保護法」改定阻止運動 ② 現代宗教と女性(25)

KawataとNanaのRapt理論で福田赳夫は李家の血筋であることが暴かれております。

デマを流す中田敦彦の正体!!(上級国民+李家+田布施+板〇退〇の子孫!!)

福田赳夫の息子は福田康夫で中田敦彦の妻福田萌とそっくり。福田赳夫と福田萌は親戚の疑いがあります。

昨年死亡した村上正邦は生長の家信者で、フィクサー的な存在でした。また、村上正邦は福田派入りを希望していたことが分かっております。

RAPT×読者対談〈第121弾〉清和源氏と日本会議と蝦夷共和国と緑の星。

また、昨年死亡した安倍晋三に辞任要求をしたのが、村上正邦と福田康夫でした。

安倍政権では北朝鮮問題に対応できない
「安倍君 もういい加減になさい!」
── 村上さん、現状を打破する秘策はありませんか。

村上 冤罪だったとはいえ、KSD事件で国会議員を辞めた人間が申し上げるべきことではありませんが、私は安倍総理は国会をほぼ半年間混迷に陥らせた責任をとって潔く職を辞することをお勧めしたい。

 国会議員を引退されても尚、国家の将来を憂いておられる方々も大勢おられます。私も時にそうした方々と国政を論じることがありますが、みなさん挙って安倍総理は潔く職を辞する決意をすべきだと考えてますよ。

 元総理の福田康夫さんも共同通信のインタビューに応え「各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸を見て仕事をしている。国家の破滅に近づいている」と厳しい批判をしておられました。福田さんは「国家の破滅に近づいている」と最大級の警告を発しているのです。これは、安倍総理への辞任勧告です。私は全く同感です。自民党OBだけでなく、現役の自民党議員諸君も同じことを考えているはずです。

 このままでは自民党政権が国民の信頼を失って、潰れるだけではありません。戦前戦後、営々と築き上げてきた議会制民主政治そのものが崩壊してしまう、という危機感を私は持っています。

 現役の諸君に言いたい。「自由な言論の府である国会に議席を占める議員であるなら、総理の顔色を見ることなく、国家国民のため、自由闊達な議論を巻き起こせ!」と。それが国民の信託を受けた国会議員の職責なのだと、私は思います。

 自民党執行部はこの事態を深刻に受け止めて、早い時期に最高顧問会議を招集し、安倍総理に辞職勧告を突きつけることをやってもいいのではないか。

 いまや政治を支える国民の信頼という、政治の屋台骨そのものが崩れようとしている。私はそこまで深刻な事態だと受け止めているんですよ。……。

引用元:村上正邦 安倍君 もういい加減になさい! 月刊日本

安倍晋三は生前の2019年に旧優生保護法の救済法を成立させております。(強制不妊手術の被害者に一時金を払う)

日本で24日、旧優生保護法に基づいて強制不妊手術を受けさせられた何万人もの被害者に対し、一時金を支払う法律が成立した。

1948年から1996年まで存続していた旧優生保護法では、「不良な」子どもを作らせないために強制的に不妊手術を受けさせられていた。

手術を受けた被害者の多くは身体障害や知的障害があったり、素行に問題があった人たちだった。また、被害者の多くは手術を受けさせられた際、10代かそれ以下の未成年だった。

安倍晋三首相は談話を発表し、「多くの方々が、特定の疾病や障害を有すること等を理由に、(中略)旧優生保護法に定められていた優生手術に関する規定が削除されるまでの間において生殖を不能にする手術等を受けることを強いられ、心身に多大な苦痛を受けてこられました。このことに対して、政府としても、旧優生保護法を執行していた立場から、真摯に反省し、心から深くお詫び申し上げます」と述べた。

引用元:旧優生保護法の救済法が成立、強制不妊手術の被害者に一時金 BBC

安倍晋三はバリバリの右翼で「優生思想」を持っていたと記憶しておりますが、これはどういうことでしょうか。もしかしたら、村上正邦や福田康夫達からの圧力があったと考えられます。

福田昌子(福田!)に話を戻すと、彼女は日本社会党に所属していたとあります。つまり左翼ですね。

福田昌子 Wikipedia

福田昌子は優生保護法を自ら執筆し、同僚の加藤シヅエと太田典礼で法案を提出して、翌年成立させました。

社会党といえば、右翼たちが嫌う左翼であり、法案を成立させる力がないと思われておりますが。意外ですね。

戦後の1947年(昭和22年)に、第23回衆議院議員総選挙に社会党から福岡県第1区で立候補して当選した[2]。以後は1958年(昭和33年)まで連続5回当選している。同年に優生保護法を自ら執筆し[3]、同じ社会党議員であった加藤シヅエと太田典礼の3人で法案を提出し、翌年成立した。福田も加藤の女性の権利や母胎保護には望まぬ出産への中絶の権利や母胎への危険のある出産を阻止する方法が必要だと考えに賛同していた[4]。

1949年(昭和24年)、朝日新聞主催の座談会で「大体人類というものが一定不変の定律であるかどうか宗教が万人の犯すべからざるものかどうかを考えてみなければならない、日本の現状を考え、その置かれた立場を認識し、産児制限の是非論を戦わせなければならない、日本の現状からして残された人口政策がたった一つの対策として産児制限以外ないといえば、いやでも誰でも賛成しなければならない」と産児制限についての考えを述べている[5]。

引用元:福田昌子 Wikipedia

Wikipediaにあるとおり、はっきりと、人口政策のたった一つの対策として産児制限しかない、誰でも賛成しなければいけないと明言しております。

日本母性保護医協会 (日本産婦人科医会)の代表の谷口弥三郎は時勢によってコロコロ方針を変えていましたが、もともとの考えかたは、「庶民の命は我々上級国民が操作しなければならない」という考えだったということですね。

時勢によって発言を変える政治家や医師の様そのものでしたね。こうやって彼らは庶民を騙し続けてきたのでしょう。

みおしん等産婦人科医達がこぞってワクチン接種を薦めるのも優生保護の観点なのでしょう。

https://twitter.com/withpain_mio/status/1426834088502075395
https://twitter.com/renatkhsh/status/1432894842023997444

また、優生思想の大元はチャールズ・ダーウィンから来ています。

チャールズ・ダーウィン

優生学の目的は様々であるが、「知的に優秀な人間を創造すること」、「社会的な人的資源を保護すること」、「人間の苦しみや健康上の問題を軽減すること」などが挙げられる。これらの目標を達成するための手段として、産児制限・人種改良・遺伝子操作などが提案された。 生殖管理により人種を改良する、という発想は、プラトンにまで遡ることができるが[3]、優生学の直接的な起源は、1865年のフランシス・ゴルトンの報告である。彼は従兄弟のチャールズ・ダーウィンが1859年に著した『種の起源』から影響を受けた。

引用元:優生学 Wikipedia

優生学のウィキを見てみると、「知的に優秀な人間を想像すること」とあり、それらの目標を達成するために産児制限、人種改良、遺伝子操作などが提案されたとあります。つまり、優秀な人間だけがこの世で価値があるという考えからで、それ以外の人間は価値がなく、死んでしまえという考え方というわけです。

インチキメンタリストのDaigoも優生思想を口に出して、方々から批判を浴びました。

Daigoも、李家の血筋を引いているイルミナティです。

進化論を説いたチャールズ・ダーウィンもユダヤ人でフリーメイソンと言われています。

われわれがダーウィン、マルクス主義、ニーチェ主義のために用意した成功について慎重に考えてみたまえ。

とにもかくにも、われわれユダヤ人は、これらの指令がゴイム(異邦人)の精神にいかに破壊的な影響を及ぼしてきたかを明確に理解すべきである。

(シオン議定書2-3。「われわれユダヤ人」とは、カバリスト、すなわち、イルミナティ・ユダヤ人を指す)
http://www.henrymakow.com/was_darwin_an_instrument_of_th.html

著名な進化論者アルダス・ハクスレーは三百人委員会のメンバーだった。

進化論とイルミナティには深い関係がある。

ダーウィニズムの「自然淘汰と適者生存」の概念は、イルミナティにとってきわめて重要である。
http://www.henrymakow.com/was_darwin_an_instrument_of_th.html

チャールズ・ダーウィンがメイソンである証拠はないが、家族の中の複数の男性がメイソンであった。

チャールズの祖父エラスムス・ダーウィン(1731-1802、医師、生物学者)は、スコットランドのキャノンゲート・キルウィング第2ロッジのメンバーであり、叔父のフランシス・ダーウィン(1786-1859、医師、旅行家)もタイリアン第253ロッジのメンバーであった。

親友や同僚もメイソンであるから、当然彼もそうであろうと推測できる。

ダーウィン家とウェッジウッド家は、数世代にわたって互いに姻戚関係にあり、これは、フリーメイソンの結束を強める方法である。チャールズも、自分の従妹エマ・ウェッジウッドと結婚した(ロスチャイルドの男子の幾人かも、ウェッジウッド家の女性と結婚した)。

http://www.henrymakow.com/…

ダーウィンの孫にあたるチャールズ・ガルトン・ダーウィン(1887-1962)は、世界政府論者であった。

著書『百万年の未来』(The Next Million Years)には、ニュー・ワールド・オーダーの青写真が描かれている。

http://www.scribd.com/…

チャールズ・ガルトン・ダーウィン曰く、「すべての文明は、人々にとって一種の奴隷制度である。」

これは「自然の秩序」であり、「リーダーたち」は、生まれたときから、人々を奴隷として扱う技術を教え込まれる。

彼らは、現実に関して、一般の人々とは違う解釈を教え込まれながら育つ。

現実の世界において、捕食者たる者は、「自然秩序」の頂点にいるべきである。

彼らは捕食者である。なぜならば、偽善者であり、嘘つきであり、騙す者であり、無節操な詐欺師であるからである。

優秀な捕食者として、彼らは、人々に対して自分たちがどのように捕食するのか、どのように様々な目的のために人々を操作するのかをけっして伝えてはならない。

「なぜならば、IQの低い者たちは、…暗愚の中に閉じ込めておかねばならないからである。」

ダーウィン家のモットーは「Cave et aude(用心深く、なおかつ大胆であれ)」であり、紋章は、ソ連の象徴である赤い星がついている。

http://www.henrymakow.com/…

マルクスは、当時の人々にとってあまりよく知られておらず、その思想が広まる可能性は低かった。

大衆がこの思想を受け入れやすくするには何かが必要であった。

その何かこそが、ダーウィニズムであった。

ダーウィニズムによって、神は排除され、生存競争こそが人生であると考えられるようになった。

奴隷国家、犯罪、暴力、破壊、無政府状態、革命、戦争を人々に受け入れさせるためには、ダーウィニズムが必要だったのだ。

http://www.henrymakow.com/…

イルミナティ・ユダヤ人(タルムード・ユダヤ人)が共産主義社会を建設するために用意したもの、それこそがダーウィニズムであった。

(以上、”Civilization, a Form of Slavery,” said Darwin Grandsonの要約)

引用元:ダーウィンとイルミナティ・フリーメイソンとの深い関係

以上の引用元を見てみると、ダーウィンがユダヤ人で、共産主義者だったということが暴かれております。

また、ダーウィン家のモットーは用心深く、なおかつ大胆であれとあり、紋章はソ連の象徴である赤い星がついているとあります。

ダーウィン家の紋章

9月に総理の座を降りる、菅義偉も共産主義者であり、共産主義は日本がルーツであることが暴かれております。

また、ダーウィンの孫のチャールズ・ガルトン・ダーウィンは世界政府論者でしたし、ダーウィンの従兄弟である、フランシス・ゴールトンはダーウィンの「種の起源」に触発されて優生学を考え出しました。

優生学は1865年イギリスのフランシス・ゴールトンによって初めて提唱された考え方です。ゴールトンは進化論「自然選択説」を提唱したチャールズ・ダーウィンの従兄弟で、ダーウィンの著作「種の起原」(1858年)に触発されて優生学を考え出しました。いってみれば、進化論を人間の遺伝的改造に応用しようというものです。 

 メンデルの遺伝法則が世の中に知られるようになったのは1900年ですから、ダーウィンもゴールトンも今日的な意味での遺伝子という概念は持っていなかったことになります。ゴールトンは当時の上流階級の家系を調べ、天賦の才能を持つ人は互いに血縁関係にあると主張します。そして、「数世代連続して相手を選んで慎重な結婚を続ければ、人よりも優れた才能を持つ男の子を産み出せる」と確信したゴールトンは、遺伝的才能の優劣を競う試験を国家が実施し、優等者を公開の席上で表彰し、彼らの間で産まれた子どもには特別の補助金を支給することで優生学的に優れた子どもを増やそうと提案しています。また、子どもを作るのにふさわしくない人々は修道院に入れ、異性と隔離するのが望ましいと考えていました。

引用元:遺伝的天才 優生学の生まれ時代

イルミナティは競争を煽りながらも、自分たちは優秀な遺伝子を引き継ぐために、近親婚などを繰り返したりしている連中でしたね。結果として数多くのそっくりさんが誕生しております。

私が以前働いていたベンチャー企業の社長は「優秀な人間が欲しい」、「優秀」、「こいつ使える」と常日頃から発言していたので、恐らくこの優生思想の影響を受けていたと考えられます。

優秀でなければ人にあらずとでも言いたかったのでしょうか。

Rapt氏は人々には個性才能があり、向き不向きがあるとおっしゃっています。

RAPT×読者対談〈第123弾〉個性豊かな才能あふれる人々を生み出す社会へ。

にも拘わらず、政府やイルミナティ達は生まれてから一律の教育を施し、テレビで洗脳し、マスク着用やワクチンを強制し、挙句の果てに人々を殺そうとしています。

我々庶民は一刻も早く、群馬人脈や李家が「優生思想」を刷り込んで、人口削減をしようとしている事実を広めることについて気が付かないといけません。だからコロナワクチンだろうが、HPVワクチンだろうが連中に騙されて接種することは愚の骨頂です。