イスラエルの流浪の民は李家で同和・部落利権に関わっていた。その1

部落問題

安倍晋三が李家の血統ということがネットで明らかになりましたので、もう少し突っ込んだ話をして見たいと思います。

イスラエルの民であるレビ人は流浪の民とされ、シルクロードをたどって日本までやって来た経緯があります。

仮説、王になる血流と王を選ぶ血流?

また、画像を見てみるとわかる通り、中国の開封市を通って日本に渡り、大和→諏訪に行き着いたと考えられます。

しかも、中国の開封市の姉妹都市が三重県伊賀市、三重県伊勢市、埼玉県戸田市、長野県諏訪市です。

伊賀市は伊賀忍者発祥の地で、東出融とも関わりがありました。

(東出融について知らない方もいらっしゃると思いますので、下記リンクをご覧ください)

東出融氏がどれだけ読者に嘘をついているかを示す確固たる証拠。

イヤシロチグッズが効果はあっても、とんでもないぼったくり商品である確たる根拠。

RAPT×読者対談〈第75弾〉あらえびす・東出融の正体(1)

RAPT×読者対談〈第76弾〉あらえびす・東出融の正体(2)

TALK RADIO 〈Vol.10〉 北海道地震と大阪地震は100%人工地震である。 (真犯人は麻生太郎・安倍晋三・東出融)

伊勢市は皆さんもご存知の通り、伊勢神宮があります。

埼玉県戸田市は、東京都板橋区と隣接し、ボートレース戸田、ヤクルトスワローズの二軍の本拠地。

ボートレースといえば、笹川良一で、大本教と深い関わりがありましたね。

笹川良一が命がけでここの利権を取ったのはこういう背景があるかもしれません。

社団法人埼玉県モーターボート競走会設立の沿革

ヤクルトは大本教の色緑を使ってますし、李家の末裔、安倍晋三もファンでした。

諏訪市といえば、諏訪大社があり、レイライン上に存在。

伊賀市にある蛭子神社を中心にして
諏訪大社、伊勢神宮、
八雲山、剣山、室戸岬とレイライン

蛭子神社は厳密にいうと名張市にありますが、伊賀市のすぐ隣ですから関係がない訳ないでしょう。

諏訪大社祭りは死者が出る程の祭り(これも人身御供 ひとみごくう)でしょうか?

しかも温泉が湧き出し、タケヤみそ(竹)、諏訪の大花火があります。やはり悪魔を拝んでますね。

また、これは勝手な想像なのですが、ヤクルトスワローズのスワローズは実は諏訪ではないかと思っています。全く無関係ではなさそうですね。

ヤクルトは燕市と提携しています。


諏訪田製作所の爪切りは燕市の隣三条市で製造。

燕市上諏訪という地名もあります。

話が逸れましたが、イスラエルの民は預言者モーセに反逆し、
ダビデの様な人が現れましたが、最終的にイスラエルは分裂。

古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。

イスラエルは分裂した上に、故郷のイスラエルを追われ流浪の民になりました。
原因は悪魔崇拝者が混じっていて純粋なユダヤ教徒を惑わし、
次々と如何わしい儀式など数多くの罪を犯したからです。

イスラエルの民はシルクロードを経て、中国の開封という地から
一方は四川省を経由し、インド・ベトナムへ、一方は新羅を経由し
日本国(大和、諏訪)へたどり着きました。

イスラエル人の移動経路

話を同和に戻します。

それとイスラエルの民と同和が何の関係があるの?と。

おっしゃる通りです。前回の記事で書かせて頂いた通り、同和関係者は大本教と繋がり日本基督教団とも繋がっていたと。

大本教の出口王仁三郎は聖書も読んでいました。

しかしそれだけでは根拠が弱いですね。どう考えても。

今からその根拠を言いましょう。

(聖書を読んでいない方にはわからないかもしれません)

聖書に書かれている通り

(旧約聖書 出エジプト記 29章9節より)

次にアロンとその子らの任職式を行う。まず、雄牛を臨在の幕屋の前に引いてくる。アロンとその子らは手を雄牛の頭に置く。あなたはそれを主のみ前、臨在の幕屋の入口で屠る。

これ以外にもレビ記などを読んでみるとわかるとおり、捧げものの肉を屠る(屠殺)場面が頻繁に出てきますし、皮を剥ぐとかという場面も出てきます。

捧げものの動物を屠る作業を神殿で大事な役目を司ったレビ人が主にやっていました。

しかも油についても燃やしたりして主に捧げるとありました。

油もまた同和関係の人が拘っていますね。

東京都墨田区や荒川区一帯では皮革工場や油脂工場が多く、数十年前は油を取るための肉にカラスが寄ってきたり、また周囲は豚骨スープみたいな匂いが充満していたことを覚えています。

動物の皮らしきものが置いてあります。

また墨田区にはライオンという生活用品の本社がありましたね。

ライオンも洗剤や石鹸、シャンプーを製造してました。

また、大和といえば、関西地方ですね。非常に同和の多い地域です。

調べてみればわかると思いますので、割愛させていただきます。

先ほどのイスラエルの民がどの様に流浪した図を貼りましたが、どの様に日本に来たのかというと、中国の開封→新羅→大和(現在の関西地方)にきました。

新羅経由ですから、同和と在日朝鮮人が関係ないはずですし、李家とも関係あるでしょう。

大和といえば、ヤマト王国があり、大変繁栄しました。

同和地区、部落差別されている人たちの職業といえば、

————————— 部落産業 Wikipedia より転載 —————————

部落産業(ぶらくさんぎょう) とは、被差別部落の生業を起源とする産業や被差別部落出身者が多く従事している(と、世間一般でみなされている)産業の事で、食肉業、皮革業、葬儀業、廃棄物処理業、太鼓製造業などの産業をいう。全体的に見て、動物や人間の遺体に関連する産業が多い。しかし、今日では部落出身者全体の中ではこれらの産業に従事している人々は一握りに過ぎない。近年、これらの産業に関して、行き過ぎた優遇措置や、えせ同和行為が問題となっている。

食肉業、皮革業、葬儀業、廃棄物処理業、太鼓製造業などの産業とありました。


————————— 転載ここまで —————————

————————— 死牛馬取得権 Wikipedia より転載 —————————
死牛馬取得権(しぎゅうばしゅとくけん)とは、江戸時代に存在した、死亡した牛馬の遺体を取得する権利のことである。処理・解体し、皮革などを生産した。斃牛馬取得権(へいぎゅうば-、たおれぎゅうば-)、草葉株、旦那株などともいう。明治4年(1871年)の「斃牛馬勝手処置令」という太政官達により廃止された。
江戸時代においては、穢多がこの権利を独占した。牛馬が死ぬと、持ち主の身分や幕府領・大名領などの支配の違いを問わず、この権利者に無償で譲渡しなければならなかった。穢多は死牛馬を加工して収入源としており、武具などに不可欠な皮革生産(軍需利権)を独占していた。穢多の上層の中には、皮革を取り扱う問屋と婚姻関係を結ぶ者もいた。
具体的なあり方は、地域によって大きな違いがある。関東などの弾左衛門支配下では、穢多は場日(ばにち)という日割りの権利としてこの取得権を持ち、実際の処理・解体は配下の非人の者が担当した。対して畿内近国では、処理・解体まで穢多が担った。これは、弾左衛門支配下の地域では非人集団が穢多の配下として編成されていたのに対し、畿内近国では穢多と非人は全くの別組織だったことに由来する。
————————— 転載ここまで —————————

————————— 穢多 Wikipedia より転載 —————————
穢多(えた)とは、日本において中世以前から見られる身分制度の身分のひとつである。日本仏教、神道における「穢れ」観念からきた「穢れが多い仕事」や「穢れ多い者(罪人)が行なう生業」の呼称、非人身分の俗称とする説もあるが、それより古く、古代の被征服民族にして賤業を課せられた奴隷を起源と見る立場もある。
穢多の明確な基点は明らかになっていない。逃亡農民に由来するという推測、皮革加工などに従事する部民という説、中世の元寇に由来するという説、古代の被征服民族とする意見などがあるが、穢多などの被差別民の起源は一様ではなく、雑多な起源を持つ集団であったのかもしれないが、非人と違って、穢多は、職業に関わりなく親子代々承継されたとされる。1885年、東京人類学会の会員であった箕作源八が「穢多ノ風俗」について各地の報告を求め、各地からの被差別部落民にかんする伝承や関係文献が集まったが、その多くは、被差別部落民を日本人とは異なる「人種」として捉え、その起源について論じるものであった。

江戸時代には、斃牛馬(「屠殺」は禁止されていた)の処理と獣皮の加工やまた革製品の製造販売などの皮革関係の仕事(これらは武士の直属職人という位置づけもあった)、刑吏・捕吏・番太・山番・水番などの下級官僚的な仕事、祭礼などでの「清め」役や各種芸能ものの支配(芸人・芸能人を含む)、草履・雪駄作りとその販売、灯心などの製造販売、筬(高度な専門的技術を要する織機の部品)の製造販売・竹細工の製造販売など、多様な職業を家業として独占していた。また関東では浅草弾左衛門のもとで非人身分を支配していた。一口に穢多といっても日本の東西で違いは大きいので注意が必要である。

諸肌脱ぎ、束髪、裸足で皮をなめしている姿が描かれている。

画像を見てみるとわかる通り相撲をイメージさせます。

上半身裸で皮をはぐ
穢多の人の髪型は後ろで
髪を結っています
関取も髷を結っています

————————— 転載ここまで —————————

————————— 近世部落 Wikipedia より転載 —————————
義務
近世部落の人々は、斃牛馬(たおれぎゅうば)の処理、皮革の上納、刑務、警察、消防、清掃、野番、川番、牢番等の義務を課せられた。

近年の研究
近年の研究で、江戸時代においては、近世部落の人口増加率が農民のそれよりも高いことが明らかになり、近世部落民は蔑視されていたものの、多様な産業を持つ職能民であり、「部落=貧困」という図式が成立したのは明治時代以降であるという説が有力となっている。一方、近世部落と中世日本の被差別民との歴史的連続性については、未だに議論が続いている。
やくざ
江戸時代後半には身分制が崩壊し始め、やくざが誕生するが、近世部落民がやくざになる事が可能であったか否かについては、カプランとデュブロ説と猪野健治説とで意見が分かれている。
カプランとデュブロ
→ヤクザを徹底的に批判

猪野健治
→この人はヤクザを徹底的にかばい、生長の家の鈴木邦男とも関わりがあります。

猪野健治も生長の家の鈴木邦男と仲良し


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————————— 非人 Wikipedia より転載 —————————
・非人
非人の生活を支えた生業は勧進である。小屋ごとに勧進場というテリトリーがあり、小屋ごとに勧進権を独占した。非人の課役は、行刑下役・警察役などである。本来町や村は、共同体を維持するため、よそ者や乞食を排除する目的で番人を雇っていたが、非人はこの役を務めた(番非人、非人番)。番太郎・番太とも呼ばれた。

非人手下
生まれながらの非人のほかに、刑罰として、平人から非人へ身分を切りかえられるものがあった。それを非人手下といった。
「御定書百箇条」には非人手下になる犯科として次のようなものを挙げてある。
一、姉妹伯母姪と密通したもの。 – 男女共遠国非人手下。
一、相対(心中)死を企てて双方存命のとき。 – 三日晒(さらし)の上非人手下。
一、主人と下女と相対死を企てて仕損じ、主人が存命のとき。 – 三日晒(さらし)の上非人手下。
一、三笠附(みかさづけ)博奕の句拾いをしたもの、ならびに取退無尽の札売りをしたもの。 – 家財取上げの上非人手下。
一、離別した妻に傷を負わせたもの。 – 入墨の上遠国非人手下。
一、十五歳以下の無宿で、途中小盗などしたもの。

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非人の罪を犯すと、非人に落とされ、最終的にヤクザになるシステムが江戸時代から作り上げられていたのです。おそらく平安時代の偉い人達は聖書を知っていたのでしょう。非人は平安時代からあったとされると記載されていたとありましたので、聖徳太子あたりが制定したのでしょうか?

————————— 勧進相撲 Wikipedia より転載 —————————
・勧進相撲[編集]
「勧進相撲」を参照
戦国時代後期、神社仏閣の再興や造営の費用を捻出するために勧進相撲が始まった。しかしこれはその発生当初から、各地の土地相撲が始めた営利性の強い興行で、便宜上「勧進」の名を被せたという側面がある。徳川幕府の禁令などを経つつも隆盛を極め、江戸時代の町人文化の重要な要素を占めるようになる。近代以降も伝統文化として存続し、1925年(大正14年)には大日本相撲協会(いまの日本相撲協会)へと発展して現在に至る。現在においても、地方巡業の主催者のことを勧進元とよぶことが多い。
————————— 転載ここまで —————————

死牛馬取得権なるものを主張し、穢多と称して穢れたものとして扱う(そう扱いながら大儲けさせる→おそらく為政者側にも利益があったのでしょう)。

刑吏・捕吏・番太・山番・水番、斃牛馬(たおれぎゅうば)の処理、皮革の上納、刑務、警察、消防、清掃、野番、川番、牢番。

警察、ヤクザ、港湾(荷揚)、死体処理、皮革製造、消防、清掃、糞尿処理、警備・・・

現代に当てはめるとそのままですね。警察もヤクザも港湾事業者、死体処理、葬儀、皮革製造、消防、清掃、糞尿処理、警備・・・同和。

しかしそれだけではありません。

勧進相撲なるものを主宰し、現代の大相撲へと繋がると。しかも神社仏閣の最高や造営の費用を捻出するために行ったとありますから、神社仏閣関係も同和の可能性が高いです。

なので、この写真は何の不自然もないということがわかります。

日大の田中英寿は山口組の司忍組長と仲良くツーショット

日大の田中英寿理事長と山口組の司忍がツーショットしていた写真がありましたが、何の不自然もありません。

相撲とどう関係があるのかって?

田中英寿は

財団法人日本オリンピック委員会理事・副会長 公益財団法人日本相撲連盟専務理事・副会長 国際相撲連盟事務総長・会長

を勤めてます。マスコミが田中英寿を厳しく追求しましたが、この話はいつの間にか立ち消えに・・・。

それだけではありません。ヤクザは同和ですし、相撲も同和ということ。

しかも田中英寿の英寿は首枷をつけられた人=奴隷を従えて長生きするという意味です。

英は奴隷を表す

さらに同和=部落産業のウィキに太鼓製造業とありました。太鼓といえばドラマーですね。しかしそれだけだと根拠が弱いです。また、モーセの姉のミリアムが太鼓を叩いて賛美する場面もあったので、この頃には太鼓が存在していました。ですが、それでも根拠が弱い。

出エジプト記でモーセの兄アロンの胸当てに使用する石を定めている場面がありました。

出エジプト記 39章8節 胸当てより

画像にした方がわかりやすいので画像を貼り付けておきます。

アロンに与えた胸当てにつけた
イスラエル12支族の石

これらの石が実は関係があります。

全部の石について紹介すると莫大な量になってしまうので、太鼓と関係のありそうな部分を紹介します。

一つ一つの石について調べてみたのですが、太鼓に関係する部分は見受けられませんでした。

ベニヤミン族の石に紫水晶があります。これの英語読みがアメシスト。

————————— アメシスト Wikipedia より転載 —————————
アメシスト(アメジスト、amethyst)は、紫色の水晶である。紫水晶(むらさきすいしょう)ともいう。

産出地
ブラジルのリオ・グランデ・ド・スール州は世界最大の紫水晶の産地。スリランカ、マダガスカル、中央アフリカでは質の良いものが産出する。
日本では、宮城県白石市の雨塚山や鳥取県で産出される。
性質・特徴
鉱物学的性質・特徴については「石英」を参照
硬度は7。比重は2.65。組成は SiO2(二酸化ケイ素)。素焼きの陶板にこすりつけると白い条痕が残る。ハンマーなどで割ると貝殻状の断口が残る。
光沢はガラス光沢で、色は淡いライラック色から、濃紫色まで幅広い色合いがある。紫外線に曝露すると退色する(直射日光の当たる窓際などに置くと色が褪せてくる)。照射する光のスペクトル組成によって、見た目の色を大きく変化させる紫水晶は、「カラーチェンジアメシスト」もしくは「カラーチェンジタイプアメシスト」と称されている。 また、加熱すると色の変色が起こり、宝石名としてはシトリンとなる(現在出回っているシトリンはアメシストを加熱したものが殆どである)。
用途・加工法
主に装飾用に使われる。
緑色透明の水晶が「グリーンアメシスト」と称され、市場に出回っている場合があるが、これは主に紫水晶その他の水晶に、熱処理や放射線処理を施し、変色(エンハンス)させたものである。採掘時に緑色透明であるものは、プラシオライトとも呼ばれ、アメリカ合衆国カリフォルニア州やネバダ州などのごく一部の地域から産出する。
サイド・ストーリー
2月の誕生石。石言葉は「誠実・心の平和・高貴・覚醒・愛情」など。
旧約聖書の『出エジプト記』に、高僧の胸当てに飾られている12種類の宝石の1つとして登場するなど、歴史は古い。プリニウスの『博物誌』では、紫色の宝石の中で最高のものはインド産である。キリスト教では伝統的に、男性の宗教的献身のシンボルであった。
amethystは、ギリシア語のamethustos(酔わせない)が由来である。酔いを防ぐ効果があると信じられていた。

YOSHIKIのシングルについては「Amethyst」をご覧ください。
mihimaru GTの楽曲「Amethyst」については「アン ロック」をご覧ください。
————————— 転載ここまで —————————

YOSHIKIという名前に目が止まりました。彼はX JAPANのドラマーでした。

これだけだと根拠が弱い。確かに、しかしYOSHIKIのシングルはAmethystでした。

はい、確かにアメシストですね。アメシストの意味は、紫水晶でした。紫水晶はすなわちベニヤミン族の石でしたね。

そうですね。これだけだとYOSHIKIが水晶を使ったのは偶々かと仰るかもしれませんので。

YOSHIKIが愛用するドラムセットをご覧ください。

しっかりクリスタルを使用しています。つまりYOSHIKIはベニヤミン族。

確かに、全部が全部太鼓を叩く人が同和でもないですが、ここまで符合すると

太鼓を叩く人は同和に絡んでいて、先祖を辿るとイスラエルの流浪の民ということ。YOSHIKIはイスラエルベニヤミン族の末裔でした。

また、YOSHIKIは李家の末裔とされる小泉純一郎と交友がありますから李家の可能性もあるということです。

次に続く

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