中国残留孤児帰還事業は李家が作り出した誰も幸せにならない事業

櫻井よしこ
中国残留孤児帰還事業について言及した
櫻井よしこ

今回は中国残留孤児帰還事業について書かせていただきます。

Rapt理論でイルミナティの悪事が暴かれてますが、安倍晋三が李家の末裔ということもわかりました。

現在叩かれているのが、ファーウェイという中国の携帯電話メーカー。

おそらく、ファーウェイを叩いているのは李一族が大儲けし続けるのが面白くない連中なのでしょう。

ファーウェイを叩いているのが、ドナルド・トランプアメリカ大統領でしたね。

このドナルド・トランプも胡散臭い人物ですが・・・。

おそらく安倍晋三から沢山金を貰ったので、日本と安倍政権の茶番に付き合ってあげているのでしょう。

(トランプはロリコンでペドフィリアなので、もしかしたら日本のアイドルと夜な夜な如何わしい行為の接待を受けているかもしれません)

スパイ防止法案を画策しているのはカルト宗教生長の家の関係者の可能性があると思います。

安倍政権が追い詰められてますが、雑草のようにネトウヨはしぶとい。

しかしながら、彼等は上からの言う事に従っているに過ぎません。

現に彼等のツイートを見てみるとわかる通り、為政者側に都合の良いものばかり。

例 アニメ画像にわざわざ幸福実現党というタグ付けをしてある。非常にわかりやすいネトウヨ工作員の一例。

深田萌絵こと浅田麻衣子
幸福の科学=生長の家工作員が支持する
日本のIT企業が中国に盗まれていると主張する
深田萌絵こと浅田麻衣子
深田萌絵が小馬鹿にしている足立康史も
仲間のDAPPI氏が擁護
スパイ防止法案を作れと。

彼女をフォローしているのがネトウヨの著名人ばかりでしたね。

例えば、KAZUYAチャンネルのKAZUYA。

さらに深田はNHKがいらないと主張していました。

となるとNHKをぶっ壊すの立花隆志とも関わりがありますね。

その立花隆志は仁徳天皇陵のある堺市長選に立候補するとか。

前はどこかの市長選に立候補しましたが、見事に落ちました。

選挙に出るには資金がいるのですが、どこから出ているのでしょう?

きっと朝堂院大覚から貰っているんでしょうね。

(朝堂院はネトウヨ仲間の山口組猫組長とも親しいですし)

となると中国残留孤児帰還事業は朝堂院大覚も関わりがあるのでしょうか?

ネトウヨが尊敬している櫻井よしこという評論家がいます。

彼女は過去にこんなことを言っていました。

「 中国残留孤児がなぜ生まれたか 今語ることこそ真の歴史教育になる 」

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『週刊ダイヤモンド』    2007年2月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 678
1月31日、安倍晋三首相は“中国残留孤児”の代表らと会い、「法律的な問題や裁判とは別に、新たな対応を考える」と述べ、彼らの置かれた苦難の状況に、政治的判断で支援の手を差し伸べる決意を語った。

全国15地方裁判所で約2,200人の“孤児”が、遅過ぎた帰国が彼らの現在の苦況の原因だとして、政府に一人当たり3,300万円の損害賠償を求めるべく集団提訴しており、首都圏の40人に対する判決が、1月30日に東京地裁で出されたのだ。彼らの請求は棄却されたが、翌31日、安倍首相は前述のように、政治判断で彼らへの支援策を約束した。“孤児”代表が安倍首相との対面後、「地獄に落とされた気持ちだったけれど、今は、天国にいるような思いです」と笑顔を見せた。

首相判断を高く評価するとともに、“残留孤児”に対するこれまでの日本政府の冷たい姿勢を思い出さずにいられない。肉親探しで来日する彼らは、代々木のオリンピック青少年センターに迎えられる。そこが彼らの宿舎であり、訪問者との対面の場でもある。

だが、取材するたびに、私には納得のいかないことが多かった。たとえば彼らに出される食事は、冷え切った弁当だった。訪れる人を待つ待合室の椅子は、硬く冷たいパイプ椅子だった。敗戦の混乱の最中、中国に取り残され、何十年も過ぎてようやく帰国した大切な日本国民に対し、祖国として、なぜもっと心のこもった遇し方が出来ないのかと、私は憤った。

※私見:オリンピック青少年センターを調べましたが、非常に設備の良い施設とも受け取れます。現に施設の写真を見てみると、短期の滞在であれば充分快適な施設です。

短期の滞在であれば非常に快適な施設に感じます。

部屋にはベッド、シャワー、トイレ、テレビ
広くて快適な共同浴場
複数人数でも快適そう
これだけ見ても非常に快適な施設です。

“孤児”の自立支援プログラムの内容も貧しかった。何ヵ月か日本語を学ばせた後、基本的に自立させるのだが、彼らが中国で取得した資格は日本では認められないのだ。教員も医師も調理師も整体師も、すべて一から日本語で勉強し、日本の資格を取らなければならない。せめて、特例が認められないものかと思うことは非常に多かった。

※私見:そもそも無理やり連れてきておきながらこう言う事を主張するのはおかしなことではないでしょうか?

※また、櫻井よしこは中国人が好きな様子が文章を見て感じ取れます。櫻井よしこのルーツは中国かもしれません。

“帰国孤児”の多くが貧しい生活と老後への不安のただ中にあるとき、彼らの将来を安寧にするための政治的措置を講ずるという首相判断はきわめて正しいのだが、指摘しておきたい点もある。安倍総理は、日本国の首相として、“中国残留孤児”の歴史を国民に語るべきだという点だ。なぜ、“残留孤児”が生まれたのか。なぜ、万単位の日本の親たちが、自分の命よりも愛しいわが子らを中国に置いてきたのか。そうしたことについての歴史の背景、日本が体験した苦難を、具体的に国民に語ってみてはどうか。

※私見:そうですね、世界紅卍字会と日本陸軍、アメリカと諸外国すなわちイルミナティの茶番が引き起こした苦難です。

それだけ残留孤児に愛(見せかけの愛)を注ぐのであれば、日本国民にも愛を注いで見ては如何でしょうか?

こんなところに住んでいるから特権を主張するんでしょうかね?

周知のように、1945年8月9日、旧ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、突如ソ満国境から襲いかかった。まさに驚天動地の攻撃だった。旧満州には155万人の日本人が居住していたが、日本人の家々からはあらゆる金品が強奪され、女性たちは強姦され、そのため自決する女性が相次いだ。戦車とともに南下し続ける旧ソ連軍の追跡に、母親たちはとうてい逃げ切れないこと、子どもを連れて逃げれば、子どもたちを死なせてしまうことを悟った。だからこそ、せめて子どもが生き残れるようにと、血の涙を流す思いで現地の人びとに預けてきた。その子たちが“残留孤児”である。

※私見:突然ソ連が条約を一方的に破棄したなどと言っていますが、これもソ連と日本の間で分かっていたことなのでしょう。

旧ソ連軍はさらに、60万人の日本の軍人をシベリアに連行したと私たちは教わった。しかし、平和祈念事業特別基金の戦後強制抑留史編纂委員会の調査では、抑留された軍人は70万人から80万人、死者は10万人に上るという。旧ソ連軍は8月28日に北方領土に上陸、9月5日までに全島を奪い終えた。日本の降伏後に違法に盗んだ四島を、今プーチン政権は国際法上適切に取得したと厚顔にも主張する。

安倍首相は、“孤児”たちを生んだ歴史の背景を語り、政府として思いも力も足りず、“孤児”たちに苦労をかけたことを詫び、彼らの苦労を労(ねぎら)ってほしい。そうした語りかけこそが、真の歴史教育になるのだ。
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残留孤児が、いかにも中国で不幸な暮らしをしているか言っています。

そうやって我々を洗脳してきたのでしょう。

それでも残留孤児帰還事業を行いたいのでしょうか?

また櫻井よしこは蓮舫を攻撃しないと言われています。

そりゃそうですよね。蓮舫はネトウヨの大好きな台湾人ですから。

RAPT×読者対談〈第132弾〉リチャード・コシミズの正体。(麻生太郎とアヘン貿易の仲間たち)

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そもそも、「リチャード」という姓も「李」という姓に由来がある気がしますし。(読みが「りー」ですから)

で、「台湾」というと、民進党の党首だった「蓮舫」もまた「台湾」の国籍を持っていたことで問題になりましたね。
そして、実を言うと、「蓮舫」の祖母もまた「アヘン貿易」でボロ儲けした人物の一人なのです。

つまり、「麻生太郎」や「リチャード・クー」の仲間だということです。
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つまり、櫻井よしこは蓮舫は李家の末裔だから攻撃しないのでしょう。

私は中国残留孤児帰還事業はバビロン捕囚帰還を悪用した制度かもしれないとも思っています。

では中国残留孤児帰還事業がいつから始まったのでしょうか?

中国残留日本人 -Wikipedia-

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満州・蒙古への開拓
「満蒙開拓移民」も参照
1931年9月18日以降の満州事変の直後に、日本は清の最後の皇帝である溥儀を担ぎ出して現在の中国東北部にあたる旧満州に満州国を建国し、同時に満州事変以前より提唱されていた日本の内地から満州への移住計画の「満蒙開拓移民」が実行され、1936年の廣田内閣の計画で500万人、実数では32万人以上の開拓民を送り込んだ。

※私見:満州国に日本人を送り込んだのは日本国でしたね。


当時の日本は、アメリカ合衆国発の世界恐慌から引き起こされた昭和恐慌にあり、地方の農村地域は娘を身売りさせる家が続出するなど困窮、疲弊しきっており、農業従事者の移民志向も高いことから大規模な移民となった。
ソ連の対日参戦
「ソ連対日参戦」、「引揚者」、および「引揚援護庁」も参照
第二次世界大戦末期の1945年8月8日に、ソ連は日本と結んでいた中立条約を一方的に破棄して宣戦布告して8月9日未明に満州国へ侵攻した。関東軍は民間人からトラックや車を徴用して列車も確保した。軍人家族らはその夜のうちに列車で満州東部へ避難できたが、翌日以降に侵攻の事実を知った多くの一般人や、遅れをとった民間人らは移動手段もなく徒歩で避難するしかなかった。国境付近の在留邦人のうち、成人男性は関東軍の命令により「国境警備軍」を結成してソ連軍に対峙したことから、避難民は老人や婦人、子供が多数となった。
ソ連侵攻と関東軍の撤退により、満州における日本の支配権とそれに基づく社会秩序は崩壊した。内陸部への入植者らの帰国は困難を極め、避難の混乱の中で家族と離れ離れになったり、命を落とした者も少なくなかった。遼東半島へソ連軍が到達するまでに大連港からの出国に間に合わなかった多くの人々は、日本人収容所に数年間収容されて帰国が足止めされた。1946年春まで帰国は許可されず、収容所での越冬中に寒波や栄養失調や病気で命を落とす者が続出して家族離散や死別の悲劇が生まれた。この避難の最中に身寄りがなくなった日本人は、幼児は縁故または人身売買により中国人の養子として「残留孤児」に、女性は中国人の妻として「残留婦人」になり命脈をつないだ。一方で樺太では、樺太庁長官大津敏男の尽力により残留孤児の問題が発生しなかった。

→ソ連軍に襲われて、数多くの満州人、日本人が命を落としました。運良く捕虜にされた人も過酷な暮らしを余儀なくされ、多数の人が命を落としました。


満州からの集団引き上げは1946年春から一時期の中断を含めて実施され、葫蘆島などの港から100万人以上の日本人が帰国したが、国共内戦が再開するにつれ、中華民国軍や中国共産党軍に徴兵されたり労働者として徴用された。日本人に対する過酷な支配によって通化事件などの虐殺も発生した。

私見:当時の政権はなぜこの事を言及しなかったのでしょうかね?

日本国政府は、のちに中国大陸に成立した中華人民共和国と国交を結ばず、1953年に未帰還者留守家族等援護法を制定して1958年に集団引揚げ終了し、1959年に「未帰還者に関する特別措置法」を制定して残留孤児らの戸籍を「戦時死亡宣告」で抹消した。


日中国交正常化を機に、帰国していた肉親らは中国に残留させた子供や兄弟の消息を求めて長岳寺住職山本慈昭も周恩来へ書簡を送り、中国でも残留孤児探しが開始されたが文化大革命、周恩来の死去、日中両国政府の緩慢さなどから、1981年3月に初めて「残留孤児訪日調査団」47人が、以降1999年11月まで30回で2116人が、肉親との血縁関係確認に訪日した。
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結局、日本が満州国を建国し、わざと負けて多数の日本人を殺し、

さらに中国人にも殺させて、救済と称して日本に帰国させ、そこでも不幸な生活を送らせる。これこそ悪ではないでしょうか???

さらに中国残留孤児事業はこんなデメリットがありました。

1:帰国者の約8割が生活保護を受けている

2:老人ホームに入っても言葉の壁で孤立

3:生活保護を不正受給している

4:偽残留日本人と斡旋するブローカー

5:残留孤児給付金訴訟

※私見:本当の庶民には支払われず、またその事を利用した連中がまた合法的に不正受給している可能性もありますね。


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改正中国残留邦人等支援法による給付制度[編集]
2007年11月28日、与野党合意の議員立法により「改正中国残留邦人支援法」が成立。(2007年12月5日公布、2008年1月1日施行(一部を除く))この法律で、中国残留邦人の生活の安定のため、①老齢基礎年金等の満額支給(約66,000円(2007年現在の水準))や、②公的年金制度によっても生活の安定を図ることができない場合には生活支援給付(約80,000円。この他に、医療や介護等、必要に応じて無償で支給。)等を定めた。またこれに伴い、予算措置として、③中国残留邦人が地域社会の中で暮らせるよう、身近な地域での日本語教室や地域との交流事業等も適宜実施されている。
2007年12月、永住帰国者約2200人が行ってきた日本政府への損害賠償請求の集団訴訟は、上記の法成立を受けて、各々訴訟が取り下げになった。法成立に関わらず訴訟を取り下げなかった2訴訟については、2009年2月、最高裁判所が上告を棄却、すべての訴訟が終了した。

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6:2・3世の怒羅権などのマフィア化

7:その他 外務省職員が残留孤児を使って中国へのスパイ行為を依頼

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外務省職員が中国残留孤児二世の男性(民間人。国籍は日本)に中国での諜報活動を依頼し、中国当局に逮捕されるという事件が発生している。 また、2005年の衆議院総選挙に於いて、選挙権を有しているのに日本語を解せず選挙権を行使できないのは人権侵害であるとして、中国語での公示を求める訴えを起こした。
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中国のスパイ行為をやめろと言いながら、中国へのスパイ行為は容認するのでしょうか?(これも外務省職員がやったと言う体にしたいのでしょう)

本当ネトウヨって自分勝手ですね。生長の家はこう言う思想なのでしょうか?

しかもネトウヨと思われる人が日本からいなくなって良かったとツイートしています。イルミナティにとってこんな事が起こるのは計画の範囲内と言うことなのでしょうか?

自分達でスパイさせておいて、中国から帰還させて良かったと言えるのでしょうか?しかも外務省の役人に罪を被せたのかどうかは知りませんが。

さらにこんなこともあるようです。

「強制退去」を命じられる、中国残留孤児2世らの悲鳴

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近年、中国残留孤児1世が亡くなった後、残された2世家族が都営住宅から退去を迫られるケースが相次いでいる――。

戦前・戦中、国策に従って旧満州(中国東北部)に移住するも、戦後、親や親族と離ればなれとなり、中国に取り残されてしまった残留孤児。1981年3月より始まった集団訪日調査によって、彼ら・彼女らの一部が祖国日本に帰ってくるも、日本語が不自由なためにまともな職を得られず、衣・食・住に難儀する人も多かった。

そんななか、国と自治体は連携して、公営住宅を優先的に提供するなどして、残留孤児の居住の安定を図ってきた。

ところがここ数年、永住帰国した残留孤児1世が亡くなると、残された2世家族が退去を迫られるケースが相次いでいる。一体、何が起こっているのか。『中国残留孤児 70年の孤独』の著者・平井美帆氏の特別レポート。

きっかけは母の死だった

「都営住宅からの退去に関する説明書」「明渡通知書」「催促状」――。

母と娘は無機質な文書を手に、困惑した表情を浮かべていた。東京都西部の都営住宅に、中国人の夫と暮らす張さん(57)、少し前までここで同居していた娘の玲さん(31)である。約2年半前から張さん夫妻のもとには、住居の立退きを求める通知が届き、月に何度も行政担当者が訪れるようになった。

きっかけは張さんの母の死だった。2014年12月、団地前の横断歩道を渡っていた張さんの母・キクさんは、横から走ってきたバイクに轢かれ、そのまま一度も目を覚ますことなく、クリスマスの日に81歳の生涯を閉じた。

キクさんは「中国残留孤児」という運命を背負った女性だった。戦前の国策に従い、満州開拓移民として、青森から旧満州(中国東北部)に一家で移住した。だが、父親は日本の敗戦直前に現地で徴兵されてしまい、ソ連軍が北東から侵攻してきた混乱の大地で母親とも離ればなれになる。

当時まだ幼かったキクさんは、中国人養父母に育てられた。長い長い月日を経て、彼女の身元が判明したのは、2004年11月の訪日対面調査でのことだ。キクさんには中国人の夫がいたが、このときすでに他界していて、5人の子どもはそれぞれ家庭を築いていた。

次第に祖国に永住したい気持ちが募ったキクさんは2010年、娘の張さん一家とともに日本にやってきた。永住帰国した中国残留孤児は、最初の半年間、中国帰国者定着促進センター(2016年3月閉所)で暮らした後、本人の希望と各都道府県の受け入れ状況を調整して、居住地が決められる。そして、居住地の自治体から公営住宅の一室をあてがわれるのが一般的だ。

キクさんと張さん一家は東京で暮らすことを希望し、都営住宅に入居したが、名義人は残留孤児のキクさんだった。東京都が全額出資し、都営住宅を管理するJKK東京(東京都住宅供給公社)は、原則として、名義人が亡くなった後、同居していた子ども世帯に使用の承継を認めていない。そのため、最愛の母が事故死したショックから立ち直る間もなく、一家は立ち退きを迫られた。

張さんは一連の経緯について納得のいかない顔で話しだした。母親の中国語を、一人娘の玲さんが少しぎこちない日本語に訳していく。

「日本に来て、家族4人で住むところをもらった。母親の面倒をみるのに、ここをもらえた」
「もらった?」
「ああ、貸してもらった」

思わず訊きかえすと、玲さんはすぐに言いなおした。言葉の綾や文化の違いもあるが、張さんたちは、募集倍率が非常に高いことなど、都営住宅をとりまく厳しい状況をあまり知らないようだった。

※私見:もしかしたら残留孤児団体から住宅を貰ったのでしょうかね?

キクさんの写真を見たいと言うと、張さんはぱっと明るい表情に戻って、思い出のアルバムを見せてくれた。まだ日本に永住すると決める前、一時帰国したときのものだ。着物を着て微笑むキクさんと張さん――。本当の両親はすでに亡くなっていて、いつか会う夢はついに叶わなかったけれど、キクさんは事故直前まで週に二回は必ず、日本語教室に通っていたという。

半分日本人の血が流れる娘の張さんにとっても、日本は第二のふるさとだ。そしてここは母の思い出がつまった場所だった。母の面影がいまも目に浮かぶ部屋、廊下、玄関――。張さんの話や口ぶりには、日本で唯一の居場所となった「実家」を失いたくない…そんな気持ちもにじみ出ていた。
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よくよく読んでみると、交通事故にあったのですから、何がしかの保険は降りるのでは?これで強制退去に納得いかないのであれば、張さんの日本語が不自由なのが演技なのであれば・・・。

もしかしたら、中国残留孤児事業もいわき市の補償金と同じ匂いがしますね。

いわき市の人が東電からの被災地補償で豪遊
(イルミナティか在日韓国、中国人だから優遇されたのでしょうか)

深田萌絵さん、中国にIT技術が盗まれるなんて寝言を言っている場合なのでしょうか?
ネトウヨ工作員はこういう事実に目を背けて、中国が悪いと連呼するのです。

何れにしても残留孤児帰還事業はコストがかかる上に、誰も幸せにならない事業。

誰が考えついたのでしょうか?

なんだか怪しいページがありましたね。
みんなイルミナティの成功者でしょうか?

中国残留孤児 国籍取得1000人達成の記録

1000人達成ですか?まるでノルマですね。中国残留孤児利権の匂いがプンプンしました。

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(一部略)

寺川 訪日調査の初期に、身元未判明で日本に帰国できなくなった孤児が、中国へ帰るときにバスの窓を叩いて嘆くんです。すごく悲壮感があって、我々も見送りしていて一緒に涙を流したものです。ところが、「支援する会」の尽力で未判明でも国籍取得して帰国できるようになった。孤児にとって国籍取得はいちばんの喜びだと思いますね。これで本当に日本人になれた、しかも二世も国籍がとれた、そういう思いが強いですよね。

庵谷 ところで、国籍を取得するには、裁判所での国籍確認と、現在やっている家庭裁判所での就籍がありますが、河合さんはなぜ後者を選んだのですか。
河合 国籍確認は国を相手に訴訟を起こすことで、厳格な主張と立証が求められ、孤児にとっては非常に不利なんです。一方、家庭裁判所は、愛の裁判所といわれるほど体質的に思いやりがある。だから、僕は家庭裁判所を選び、その選択は正しかったと思いますね。もし国籍確認訴訟で運動を展開していたら、それこそ100件取るのも難しかったでしょうね。

※私見:意図的に家庭裁判所を選んだ可能性があります。

千野 孤児問題を国の責任と考えていなかったから、国が自らやろうとしなかったんだよ。
庵谷 当時の厚生省は、基本的に当事者同士が認定すればいいという考えだったですね。
大久保 厚生省もやらざるを得なくなって、いまは血液鑑定を採用してますね。肉親関係が少しでも疑わしいときなどに鑑定しています。
千野 考えてみれば、我々が科学的な血液鑑定を訴えてから、ずいぶん時間がかかったよね。

中国にいながら国籍が取得できるように、「支援する会」が正式に発足

河合 徐明事件の場合は、日本にいる孤児のために国籍を取得したわけです。次は身元が判明しないために帰国したくても帰れない人を、中国にいるまま国籍を取得して帰国させようと、この支援する会を正式に設立したんだよね。
庵谷 ええ。松本斗機雄(中国名・趙殿有)さんが、九州の角田武尚さんに代理人になってもらって、中国にいながら国籍を取得したのがきっかけでしたね。
千野 そう、河合さんが松本斗機雄事件を、こんなのがあったと知らせてくれたんだよ。それで角田さんに電話したら、徐明事件がヒントだっていうんだよ。
庵谷 結局、徐明事件がすべての出発点なんですよ。
河合 徐明事件後に、実は、中国にいる孤児から大量に委任状をとって就籍して、帰国するハシゴにしようと考えたことがあるんです。だけど、その運動に踏み切る自信がなかった。ところが、松本さんらがやってくれたので、よし、これでやれるぞと思って、84年に「支援する会」を旗揚げしたんですよね。

孤児本人から二世三世の問題へ
庵谷 孤児問題はいま、新たな問題に直面していますが、養父母問題もそのひとつですね。山村さんは最近、中国の養父母に会いに行かれましたが、いかがでしたか。
山村 撫順など3カ所を訪ねました。そのうち1人の養母は足が悪く、1カ月1000円程度の亡夫の年金で生活していて、暖房費も払えないんです。この養母が育てた孤児は日本に帰国し、お金も手紙も送って来ない。中国には実子もいない。その方をどう援助すればいいかと、気になってしようがないんです。

大久保 いま国籍取得も1000人になって、残っている孤児も年々少なくなりますから、孤児一世の問題はそろそろ終息なんでしょう。で、今後はやはり二世三世の問題ですね。たとえば在留資格、就労、教育などいろいろな問題があります。残留孤児の問題というより、外国で育った日系の人達の定住問題になってきますよね。そのとき政府や行政を動かすのは、孤児やその子ども自身です。彼らが知恵を絞り、自分の運動として社会に訴えていかなければ動かないと思うんです。その後継者を皆さんが力のあるうちにどう作っていくのかが課題だなって思いますね。
千野 僕も二世問題だなと思っています。僕は20年、この運動をやってわかったのは、我々にも相当なことができるんだなってこと。国籍を取得したり、血液鑑定したり、お墓やまんしゅう地蔵を建てたり、「中国養父母感謝の碑」も最後だぞってやったらなんとかなった。で、最近つくづく思うんだけど、たとえば血液鑑定では松本秀雄教授がいた。「まんしゅう母子地蔵」では漫画家のちばてつやさん達がいた。彼らの力はすごいんだよ。それに我々の仲間だっていろいろな専門家がいて、役割分担ができる。だから、「支援する会」がここまでやってこられたんです。ボランティアにしろ何かの運動にしろ、殻に閉じこもっちゃいけませんよね。二世三世の問題や、年金問題だって、ネットワークを育てて、適材適所で協力してもらうといいと思いますね。

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櫻井よしこはこう言うところに触れてませんね。このさくら法律事務所の対談は朝日新聞記者が参加してました。つまり中国残留孤児帰還事業は利権。

さらに彼らの言い回しで言うと、2・3世をケアして日本に入れたいのでしょう。

先ほどのような残留孤児が追い出される報道をして、日本人の同情を集める。

半グレなどの中国人も入れて、日本を荒廃させるのでしょうかね??

本当にひどい連中だと言うことがわかりました。

しかも、笹川良一の三男笹川陽平が運営する、笹川財団や日本財団も残留孤児帰還事業に協力的でしたね。

日本財団 沿革 1971年〜1990年

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1984年|中国残留孤児への支援

中国残留日本人孤児の帰国事業が開始され、1983年(財)中国残留孤児援護基金が設立され、84年から資金援助を開始。初年度の59年度には、肉親捜しを申請した孤児1527名のうち政府の調査により733名の肉親が判明、そのうちの170名が日本に帰国。
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SJCFF 笹川日中友好基金 084 中国残留孤児等引揚者二世のための日本語学習援助

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事業内容
日本に帰国した中国残留日本人孤児や引揚者の子が、日本の大学(短大も含む)や専修学校などへ入学を希望して日本語教育機関に入学する場合、その就学上必要な資金を給付して高等教育への道を開くものです。昭和63年度以来、本事業における認定就学者の合計は66名になり、帰国孤児等引揚者所帯の自立促進に寄与しました。

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さくら法律事務所で徐明さんこと池田澄江さんが帰還したのが1984年と言うことは
笹川財団=笹川良一も確実に関係していましたね。

すなわち、右翼の笹川も左翼の朝日もグルでした。

では、なぜ彼らイルミナティが自分達で起こした戦争の後始末を日本に押し付け、利権に預かるようになったのか?

それはやはり全開の記事で書かせていただいた通り、大本教の一派が王氏の子孫。

部落差別は大本教が作り出した庶民に対する特権差別でした。

さらに、李家も関わっているからです。

下記ツイートをご覧ください。

李家一族とは・・・

RAPT×読者対談〈第132弾〉リチャード・コシミズの正体。(麻生太郎とアヘン貿易の仲間たち

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■麻生首相・政策「ブレーン」の正体

2008年現在、台湾財界の「独裁者」と呼ばれる辜一族の始祖・辜顕栄(ゴケンエイ)は、台湾中部の鹿港と呼ばれる地方の豪商・豪族の出身であった。

辜顕栄は、青年時代から働く気がなく、生まれ故郷を捨て、台北へホームレスとして流れ込み、港でコメ輸出の人足等の仕事で、その日暮らしを行っていたが、やがて人足を、まとめ上げ船会社に派遣する「手配師」、つまりヤクザのボスとなる。

中国大陸向けのコメ輸出が台湾・台北の重要産業となっていた19世紀末の事である。

当時、台湾では中国本土の清王朝の政治家・官僚達が本国の眼の届かない事を利用し、盗賊化し、台湾市民の財産を強奪し、子女を強姦する等、犯罪組織化し、それが「公式の権力・政府機関」となっていた。

「辜」は「罪・罪人」を意味する。

「無辜」で「無垢」つまり犯罪者ではない事を意味する。

辜の名前は犯罪歴のある人間、という意味であり、辜顕栄は、こうした清王朝の無法に反逆し、犯罪者のレッテルを貼られた罪人であった。

中国では、辜という氏名は、ほとんど存在しない。「あいつは犯罪者だ」という意味のニックネームが、そのまま辜顕栄という氏名になってしまったのが、この一族の始まりであった。

辜顕栄は、清王朝への謀反心から、コメ輸出でも台湾で強い勢力を持っていたフランス系船舶会社に「拾われ」、その配下のヤクザとなり、清王朝系の輸出事業には関わりを拒否していた。

(註・このフランス系の会社がロイチャイルド系企業の「ラファージュ」であることは言うまでもないでしょう。)

この英仏の貿易船、それを護衛し「アジアへ侵略者として姿を現していた」この時代の英仏海軍に燃料・石炭を供給していたのが、日本の九州の麻生炭鉱(麻生グループ)であり、2008年、次期日本首相・麻生太郎の一族であった。

麻生グループの親会社は、現在、フランスのタンカー・船舶会社ラファルジュである。

フランス系船舶会社に拾われ、その実働部隊のヤクザとなった辜一族と、麻生一族の接点は、この時代に始まる。

19世紀末、日本軍が台湾へ軍事侵略を開始すると、辜顕栄は自分に犯罪者のレッテルを貼った清王朝打倒のため、この日本軍を利用し、日本軍上陸の道案内役を果たす。

1895年、戦争に勝利した日本軍が下関条約で台湾を支配下に置き、清王朝を台湾から追放すると、辜顕栄は、その「働き」を高く評価され、台湾と中国本土への塩、砂糖の輸出専売権を日本政府から与えられる。

塩の専売事業は中国大陸では、青幇、赤幇と呼ばれる中国マフィアの独占事業であり、塩の販売ルートは、そのまま麻薬の販売ルートであった。

辜顕栄は日本政府公認の台湾の地下マフィアのボス、中国本土のマフィアへの地下ルート・パイプを握る「日本政府公認のヤクザのボス」の地位を得た事になる。

注意すべきは、当時の台湾の支配者である日本政府の総督・後藤新平は、中国支配の資金捻出を麻薬売買で行うべき、と主張する「日本政府を代表する麻薬専売事業」の推進者であった。

後藤は内務省で薬物を扱う部署の局長(現在の厚生労働省に該当する)出身であった。

※笹川良一は後藤新平を絶賛していました。後藤新平はアヘン貿易に加担しました。しかも後藤新平はボーイスカウトの初代総長・・・。

辜顕栄は、日本政府から中国侵略資金の調達係、つまり麻薬販売係を任命された事になる。

それだけ中国本土の麻薬組織とのパイプを辜顕栄が持っていた事を意味する。

この中国本土の麻薬ビジネスの実働部隊=担当者であったのが後の首相・吉田茂、つまり麻生太郎首相の祖父である。

既に、この時代、辜一族と麻生一族の「ビジネス・ネットワーク」は出来上がっていた。

1934年、辜顕栄は日本軍支配下の台湾政府で、貴族院議員になっている。

第二次世界大戦後、日本軍が敗北し台湾から撤退すると、辜振甫は日本軍への協力者として、蒋介石により投獄され全財産を没収されるが、出所後、香港に亡命し、そこで再び財産を形成し、台湾に戻る。

辜顕栄、その息子・辜振甫(庶子)は、親子二代に渡り華僑持ち前の商才を発揮し、現在、台湾・中国本土の両者で、和信電話、和信メディア、中国国際信託銀行、中信証券、中国人寿保険等、大手企業100社を超える一族経営の巨大コングロマリットを形成している。

財閥と共に、台湾マフィアのボスの地位を継承した辜振甫は、現在、台湾財界の総理大臣・独裁者と呼ばれている。

過去、成長著しい中国経済の資金需要の中枢を担って来た台湾財界。

そのボス中のボスが、この辜一族である。

蒋介石によって投獄された辜が、出所後に起死回生を図ったのが香港であり、香港は辜一族の第二の故郷である。

その香港財界と台湾財界を一体化し、台湾=香港=中国全土へと資金を流し込み、中国経済成長の原動力となって来た辜一族の活動のエネルギー源は、父のホームレス時代、犯罪者のレッテルを貼った「中国本土権力への、リベンジ」であった。

台湾から香港・中国への資金の流れ、「企業支配の流れ」は、このリベンジの流れであった。

そのリベンジは中国の市場開放において、現在「果たされつつ」ある。

このリベンジの「パイプ」、台湾と中国を結ぶ地下水脈は、旧日本帝国軍の与えた台湾と中国を結ぶ、マフィアの塩専売権(麻薬の専売権)のパイプの転用であり、その拡大生産版であった。

辜一族が、その出自から「生粋の日本支持者」である理由が、ここから生まれてくる。

また創業者をホームレス時代、「拾い、育ててくれた」フランス系貿易商社との「連携」こそ、この一族の成功の秘訣であった。一族にとって香港が第二の故郷であれば、欧州フランス系企業は、第三の故郷である。

現在、この辜(クー)財閥は、辜振甫の3男ジェフリー・クーが財閥全体を仕切っている。

APECなどにはジェフリー・クーが台湾代表として参加している。

そしてジェフリーの父=台湾財界の総理大臣と呼ばれた辜振甫の甥・辜寛敏は中国共産党への敵対心を激しく燃やし台湾独立の闘士として終生、戦い続けた政治運動家であった。

その息子が、次期日本首相・麻生太郎の「政策ブレーン」リチャード・クーである。

麻生・クー共に、欧州フランス・ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュの「子分連合」である。

2008年、リーマン・ブラザースが崩壊した。

長年、野村證券・野村総研の上級研究員として対中国ビジネスを指揮して来た「親日派」リチャード・クーは、一族の第三の故郷=ヨーロッパ企業=リーマン・ブラザース欧州支部買収に「指揮権を発動」した。

リーマンの中国ビジネスを「継承」する目算である(最終的にリーマンのアジア部門買収で妥結した)。

「日本・フランスと協力し中国王朝を打倒せよ」。

犯罪者のレッテルを貼られた創業者以来の、クー一族の「血が騒いだ」のであろう。

1930年代、クー一族と麻生一族の中国上陸の野望は、1945年の敗戦を持って失敗に終わった。

2008年、麻生首相のブレーンとなった、クー一族は、再び過去の失敗を繰り返すのか?

野村総研で、クーと同僚であった経済学者・植草一秀は小泉の郵政民営化を厳しく批判したため、「口封じ」のために強制ワイセツ罪を警察によって「デッチアゲ」られ、職を失い名誉も失い、葬り去られた。

文字通り、「社会的リンチ・魔女刈り裁判」であった。
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簡単に言いますと、李一族は中国・香港・台湾のヤクザ一族というわけです。

ここ最近Rapt理論が解明されており、日本のほとんどの支配者側の人たちは李一族であることがわかってきました。

結論:中国残留孤児帰還事業も李一族の仕業。

彼らに裁きを

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