今日は右翼の大親分と言われた笹川良一について書かせていただきます。
※しかしながら、右翼団体の様な浪人右翼、竹田恒泰のようなノリト右翼、暴力右翼、維新の会のような一見すると大衆右翼とは違うことがわかってきました。
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笹川良一が創設した「国粋大衆党」だが、右翼団体として見られているようであるが、その点は正直な話、私にはわからない。
巷では「笹川良一が右翼」であるということについても正直私が調べた範囲では、何ともいえない。
笹川は人から右翼か、と尋ねられると
「私は右翼でも左翼でもなく正道主義者で、もしこじつけて、いづれかと言えば『正翼』と答えるようにしている」と言っていた。
国粋大衆党は、非暴力主義に徹した、人道理想主義を旗印にした右翼で、またそれを実行した政党である。
そう考えると「右翼」とも言えなくもないが、そもそも「右翼」の定義は何か。何を持って右翼と呼ぶのか。
ある本に笹川が右翼の大物と掲載されていた。このような類の本に載っていると右翼になるのか。
例えば、自分の国を愛し、自分のことよりも国の名誉や存在などを第一に考え行動する人、いわゆる笹川のように愛国心のある人は右翼か。それとも国旗掲揚、国歌斉唱の必要性をうったえる人は右翼か。などなど。
笹川は非常に興味深い「右翼感」をもっていたことを記す。
まず笹川は右翼を4つに分類している。
①浪人右翼
②ノリト右翼
③暴力右翼
④大衆右翼
である。
「浪人右翼」とはいかめしい名刺の肩書をもってはいるものの、ほとんど一人一党で、軍人、官僚、政治家、資本家の門をたたいて小遣い銭をせびる主義も定見もない「職業右翼屋」である。
「ノリト右翼」は『古事記』、『日本書紀』の狂信者で氷の張る水に飛び込んでノリトを唱え、ミゾギを得意がる人たちで、この『ニ書』を科学的に批判すれば国体反逆の不忠者とたけり狂う神がかり的なもの。
→竹田恒泰や武内睦泰や百田尚樹のような連中だと思われます。
「暴力右翼」は真っ向から議会政治を否定し、暴力で昭和維新を実現して五・一五事件や二・二六事件のやり方を継承しようとする最も過激な団体で、また「塾」なども開いている。
→街宣右翼の類いでしょうか?
「大衆右翼」は人道主義を旗印にし、基盤を現実政治におき、大衆の総意に立脚して、国政の革新を行おう、とするものであり議会政治を通じて目的を達成し、合法的大衆運動を行い大衆の組織下に力点をおくものである。
→松井一郎が率いる維新の会でしょうね。
笹川の率いる国粋同盟(国粋大衆党改称)は、大衆右翼の中に入るべき性格のものである、と言っている。
→このブログ著者も笹川が大衆右翼に分類されると触れてますが、私もそう思います。
その主義、主張、思想、活動などの点から見ると確かに4番目の「大衆右翼」に入るが、笹川が自らの活動を大衆右翼と称している。それならば、平たく言えば笹川は右翼なのであろうか。
はっきりと言えることは、笹川の行動全てが国家のため、国民のためであったことを考えると「超愛国者」であることは間違いない。
笹川良一について調べていると、彼も生長の家ではないかと思うようになってきました。(最も笹川が生きていた時代に谷口雅春もいたから当然なのですが)
ただ、笹川良一が生長の家というよりは生長の家に影響を受けつつも影響を与えた存在かもしれません。
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笹川良一は本当は神になりたかったのではないでしょうか?
笹川良一の巣鴨獄中作 獄中感ありという歌を発見しました。
この人も八紘一宇を歌ってますね。やはり右翼です。
この警鐘は鳴り止まず 笹川良一著 から転載
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一部を抜粋します。
獄中感あり 笹川良一
1 迷夢を破る暁鐘に 愕然としてして打仰ぐ
世紀の空に翩翻と 四囲を圧する星の旗
一朝事は敗れたり 鳴呼(ああ)痛恨(病垂に恨)のわが思い
2 八紘一宇を謳いてし 理想は画餅と帰し去れり
光茫淡く沈みゆく 落暉に立ちて凝然と
低徊すればこもごもの 万感胸にせまるかな
〜以下略〜
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八紘一宇の歌にある通り、笹川本人は俺は右翼でも左翼でもないと言っていましたが、明らかに国粋主義者でした。
また笹川はこの警鐘は鳴り止まずという著書でこんなことを言っていました。
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迷惑至極な”有名税”
わたしは、親のかたきの子供でも、その人の不幸の場合には恩讐を忘れて心に慈悲の花を咲かせ、赤十字精神を持って、病める人には慰めを、悩める人には勇気を贈って援護することを忘れない。
鬼手仏心、仏手鬼心、鬼口仏心、仏口鬼心
わたしは千数十人の戦犯死刑囚の御霊を自宅に祭ること三十年近く、朝夕読経し、供物をそなえて冥福を祈っている。
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※冥福ですか、サタンに祈っていたのでしょうかね?
まさ笹川は出身地の大阪府箕面市にモーターボートを誘致。
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二十余年前に、わたしの出生地大阪府箕面市から、わたしは名誉市民の称号をもらった。これは次のようないきさつからである。
モーターボート競走の施行権を箕面市に持たせた際、わたしは同市に一円の資本金も出させず、万一損した場合にはわたしが負担し、利益があれば箕面市にあげると約束した。その結果、ばく大な利益が上がって同市の収入となり、日本でも稀に見る裕福な市となった。
そのため税金は安く、市は清潔であり、環境も極めて良好であるから、各界の有名人がぞくぞく移住するような抜群の優良市になったのである。
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笹川の考えが生長の家に影響を与えた証拠について書かせていただきます。
・動物愛護を主張している
また、笹川は動物を愛玩し大事にしていたという記述も見受けられました。
※維新の会に賛成している生長の家工作員も動物愛護を叫んでいる人が多かったですね。
・水、資源の無駄遣いしないよう主張していた
笹川良一は慈善事業に多額の寄付をした一方で、ケチだった。
・水一滴、電力一ワットすら無駄遣いせぬよう心がけた。
(生長の家でしょうか?)
・笹川良一は肉を全く食べなかった
・毎日の食事はみかん、とワカメの味噌汁。オートミールや蜂蜜などで、肉類は全く食べなかった。来賓にはさめたチャーハンや伸びきった鍋焼きうどん。会合で豪勢な食事がでることはありましたが、部下に食べさせて、笹川と秘書はうどんを啜っていたとか。
(自分でやるには構わないですが、伸びきった鍋焼きうどんをうまいぞ食えと、来賓に押し付けたのはどうも・・・)
・日教組や労働組合を忌み嫌っていた
この警鐘は鳴り止まずから転載
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国の象徴である国旗の掲揚と国家の斉唱に反対し、さらにデモ、ストで暴力の初歩を身をもって実物教育をして恥じない日教組は、将来日本を背負って立たなければならない大切な子供を下等動物に粗製濫造しているがゆえに、時として反対に教師が生徒から暴力を振るわれるのである。
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・躾けの大事さを訴えていた
・自らも幼少の頃厳しく躾けられたので、スパルタ式の厳しいしつけと教育を薦めていた
・サルを見習いましょうと言っている。サル信仰でしょうか?
猿の社会では、わたしがつね日頃説いている優勝劣敗、信賞必罰の原則が徹底して実行されているというから驚いた。
・水信仰、水を崇めていた
・必ずと言っていいほど、水に関わってくる。
(笹川は日本海軍の山本五十六を尊敬していた)
笹川は日本船舶振興会の会長を務めていましたし、消防とも関わりがありました。
※警察、消防、税務署、労働基準局は四つのものというツイートがありました。
笹川良一は部落利権にも関わっていたのでしょうか?
・アヘン取引をした後藤新平を尊敬している
この警鐘は鳴り止まず 笹川良一著 から転載
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大国手の後藤新平さんを見習え
医師のことを「国手」と尊称した時代があった。その当時、医は仁術であり、したがって人間の生命は、貧富によって差をつけていなかった。すなわち、一視同仁である。
〜略〜
後藤さんは「君のことは、吉野博士から詳細を聞いている。ときに君、僕が大きな景品国道を建設したことを、大ぶろしきの後藤の奴が贅沢な大道を造ったと四方八方から悪口を言われている最中だよ。君はどう思うかね。」
わたしは(笹川)は即座に「わたしは先生の悪口をいう人を軽蔑します。五年、二十年、五十年を見る先がない、あわれな目先主義者と思います。ハッハッハー」と大笑いすると、先生はわたしの手を強く握って、「若いがさすがじゃ。吉野君のいう通りの男じゃったわい」と喜んで、大笑いされた。
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笹川は自著で後藤新平の考えに同意しており、尊敬している様子が見受けられます。
また、Rapt理論でも後藤が関わったアヘン貿易について触れられてますし、李一族が絡んでいました。笹川はアヘンで財をなした人を尊敬しているということ。
RAPT×読者対談〈第132弾〉リチャード・コシミズの正体。(麻生太郎とアヘン貿易の仲間たち)
・笹川は周恩来と親しく、毛沢東の妻、江青を匿う発言をした。
また、笹川は国際勝共連合で反共を訴えていながら、中国人を大事にした様子が見て取れます。
この警鐘は鳴り止まず 笹川良一著 から転載
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かって、わたしは江青女史の不運を予知したから連合新報誌上に置いて「江青女史が日本に亡命されるなら、わたしは一面識もないが、引き取ってお世話する」むねの提言をしたことがある。
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笹川と仲良しの佐川清の会社が佐川急便でした。佐川は日中友好のイベントを開きました。
また、前回の中国残留孤児帰還事業に笹川財団から援助をしましたね。
・笹川はブラジルに援助するよう提唱していた。ブラジルといえば生長の家
※ブラジルといえば、生長の家でした。笹川も生長の家だったのでしょうか?
なぜブラジル社会に広まるのか=キリスト教を補完する在り方=「月刊誌」を読んで治るより
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ブラジルに進出した日系宗教としては文句なしに最多の200万信者を抱える生長の家――その9割が非日系人といわれる。なぜそんなに一般社会に広まったのか、どんな部分がブラジル人から求められているのか。その理由を、非日系信者を代表してサントス教化支部長のジョゼ・ルフィノ・ジュニオールさん(61)、白鳩会副会長のソニア・レジナ・ソス・サントス・イポリトさん(61)に聞いてみた。
生長の家の三つの基本的な教えの一つに「唯神実相」がある。神が作った本当の世界が「実相」であり、そこでは人間は神の子であり、神と自然と人間は大調和している。一方、人間が感覚器官でとらえる世界は「現象」とよび、全体のごく一部の情報を人間の感覚器官がとらえたものを脳が「現実」であるかのように組み直したもの。病気や戦争やテロは「現象」であって、実相ではない―とする。
そんな哲学的な世界観に惹かれるブラジル人は多く、サントス教化支部長のジョゼさん、女性だけの組織「白鳩会」の副会長の重責を担うソニアさんもそうだ。二人とも深刻な健康問題を抱えたことが、信仰生活に入るきっかけだった。
ソニアさんは23歳、1978年から生長の家に入った。「私は結核の最終段階、もう手遅れだといわれていた。シャワーを浴びることもできず、毎日ただ寝ていた。姉妹の友達が生長の家の信者で、月刊誌『アセンデドール』を渡してくれ、何気なく読んだ。そこに『病気は存在しない』と書いてあり、「それならなぜ私はここで寝ているの」と最初は憤った。貪るように24時間、読み続けたという。
生長の家では現在、ポ語月刊誌を毎月45万部も発行しており、このように読まれている。
ソニアさん一家は当時、経済的にとても困っていた。「6人兄弟で父は失業中。私しか働いていなかった。1カ月間、毎日その月刊誌を読んで、次の診察に行った時、医者から『結核の痕跡すら残っていない。完璧な健康体だ。一体何をしたんだ』と驚かれた」。
最寄りの支部に顔を出すと皆とても良くしてくれた。神想観(生長の家独得の座禅的瞑想法)の本と聖典「甘露の法雨」を読み続け、先祖や両親に感謝するようになった。「それからは仕事にも恵まれ、一度も経済的に困ったことはない」と言い切った。
当時は日系人ばかりの青年会しかなかった。「ブラジル人は私だけ。そこに入り、ポルトガル語の集会を始め、だんだん非日系が増えていった」。79年にイビウーナ聖地の青年練成会に一人で参加した。「本当に感動したわ。食事は米飯、フェイジョン、キャベツだけ。ただひたすら霊性を磨くの。神相観をする正しい姿勢を学んだ。リフレッシュして家に戻ったわ」と振りかえる。
☆ ☆
ジョゼさんもまた重病を患っていた。
「1990年、脊椎の病気が悪化して下半身が麻痺して車椅子生活だった。病院で手術が必要だといわれたが、その前日に妻が枕元に『生命の實相』第7巻を置いてくれ、ふと手に取ってみると『病気は心の実態の反映であり、病気は存在しない』と書かれており、自分のために書かれていると感じた。手術を辞める決心をし、ひたすら読んだら、徐々に回復していった。妻は数年前から生長の家に通うようになっていた。人は普段、信仰心を忘れているが、人生の井戸の底にいるように感じた時、神を思い出す。私は長いこと教会にも行かず、信仰らしい信仰を持っていなかった」。
ジョゼさんは「ちゃんと学ばなければ」と感じ、読んで読んで考えた。「支部に通って話を聞き、先祖供養の祈りを毎日捧げるうちに病気は完全に良くなった。これは皆に広げなければと思い、講師になった」。
無意識に強いストレスにさらされていると、それが病気となって身体に現れることがある。気持ちの持ち方、人生に対する考え方が変わるとストレスが軽減され、身体の免疫機能が回復するようだ。心と身体には密接な関係があり、生長の家の出版物を読むことでその態度が養われるようだ。
〜略〜
世界平和とテロリズム
取材をした3月22日朝、ベルギーでは同時多発テロが発生した。欧州キリスト教世界VSイスラム教過激派という宗教対立的な側面もある昨今のテロに関して、ジョゼさんは「谷口雅信先生は原理主義を批判している。テロリズムは聖戦を正当化しているが、宗教の根源はみな同じ(万教帰一)だと生長の家は教えている。同じであれば宗教対立は起きないと思う」という。
ソニアさんは「世界の混乱は、人の心の反映なの。心を整えないと世界の混乱は収まらない。みなが精神の平安を求めることが足りない。平和は一人一人の心から始まる。みなが内面の平安を求めることが大事」と考えている。
さらに「今は、世界の重要性の序列がひっくり返ってしまっている。本来は神、自然、次が人間であるはず。それがまるで人間が世界の中心であるかのように振る舞っている。環境問題、戦争など、そこからさまざまな問題が起きている。人よりも自然を重視したら、地球環境への関心は自然に湧いてくる」と自然との共生を訴える。「スーパーに並んでいるものを見たら分かるけど、今の食べ物は、ほとんど工業製品で、農薬の入っていないものを探すのは難しいぐらい」。
ジョゼさんも「肉を食べず一カ月に1回、一汁一飯を実践している」という。「ブラジルも今、政治的な混乱の真っ只中。だからこそ世界平和を祈っている」。
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※笹川も世界平和という言葉を盛んに使っていました。
笹川は毎日の食事はみかんとワカメの味噌汁のみで、米食主義者でしたね。また、笹川良一も巣鴨プリズンで世界平和を訴えた歌を読んでいました。
更に笹川は全日本カレー工業協同組合特別顧問でしたし、カレーといえば、笹川の尊敬する山本五十六でした。
日本風カレーを作り出したのは薩摩藩出身の高木兼寛。
日本海軍の高木兼寛
高木といえば、韓国とも関わりがありましたね。
話を戻しますが、山本五十六は新潟県長岡市出身でしたね。
長岡市といえば、笹川良一と仲良しだった、田中角栄。
右翼の櫻井よしこはベトナム生まれの長岡市育ちでした。
・笹川良一はWHOでハンセン病予防ワクチンを打つパフォーマンスをした
ハンセン病予防ワクチンを打つパフォーマンスをした
笹川良一はWHOでハンセン病のワクチンを打つパフォーマンスを実践。このワクチンパフォーマンスは村中璃子、音喜多駿、ホリエモンに引き継がれてます。こうやって有害であるワクチンが有効であることを宣伝していたのでしょう。
そうは言ってもワクチンは有害です。下記リンクをお読みください。
RAPT×読者対談〈第113弾〉ワクチンも薬もただの毒。論より証拠。
更にハンセン病も嘘病の可能性があります。
ワクチンを打ったのは長岡市出身の久住英二
しかも音喜多駿にHPVワクチンを打ったナビタスクリニックの久住英二医師も長岡市出身でした。
また、長岡市は米百俵の精神でおなじみの小林寅三郎の出身。
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河井継之助が率いた北越戦争(戊辰戦争の一つ)で敗れた長岡藩は、7万4000石から2万4000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。
国漢学校を描いた絵図。『懐旧雑誌』(小川當知、1879年(明治12年))より。
藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
と諭し、自らの政策を押しきった。
この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であり、洋学局と医学局が設置された。この学校は士族によって建てられた学校であるが、一定の学力に達した庶民の入学も許可された。国漢学校は、現在の長岡市立阪之上小学校、新潟県立長岡高等学校の前身となった[3]。なお長岡藩江戸上屋敷にも国漢学校があり、長崎に医術の修行のため内地留学[4]も出していた。
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また小泉純一郎は米百俵の精神を所信表明演説で話していましたね。
小泉純一郎と安倍晋三と竹中平蔵
・笹川良一は明治の政治家を崇拝していた。
颯爽たる人生笹川良一より
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「明治のころの日本を造った政治家は井戸塀と言われたものだ。天下国家を思い、天下国家のために金を使うから、財産は全く残らない。残るのは井戸と塀だけ。それなのに、今はどうだ、政治家は大金を残し、豪邸を作る。選挙で自分の当落と支持者のことばかり考えているから、(国を治めていくための)国策が取れない。いつまでたっても日本はよくならない」
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・山本五十六と同郷の田中角栄や海軍出身で生長の家の中曽根康弘を褒めていた。
中曽根康弘は生命の実相を愛読した生長の家信者でした。
谷口雅春は笹川良一の6年先輩
ちなみに、生命の実相を書いたのが谷口雅春で、谷口は笹川良一の6年先輩。
谷口雅春が1893年生まれで、笹川良一は1899年生まれ。
※1:笹川良一が谷口雅春の教えに影響を受けたとも考えられます。
※2:笹川は国鉄を批判し、国鉄民営化に持っていくようにしたのでしょうか?
・神様の名前を言え発言
颯爽たる人生 笹川良一にはこのようなことも書かれていました。
笹川は鈴木俊一知事を支持。小沢一郎が率いた自民党はNHKキャスターだった磯村尚徳氏を擁立した時に、「自民党幹部に君はなんと言う神様からそんな権限をもらったのだ、その神様の名前を言え。」と怒った。
・笹川は金を持っていながら、精神論に走っていた。部下にそれを求めることはなかったが、公の前でカネ、カネといいお金を嫌っていた。
※精神を強くするのは確かに悪いことではないですが、吝嗇すぎやしませんかね?生長の家の教えも精神論に走っていましたね。
・笹川良一は笹川鶴吉の実の子供ではなかった。
となると、彼はただの偉人ではなくイルミナティの重要人物だったということがわかります。
颯爽たる人生笹川良一より
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「お前はわしらを恨んでいるようだが、お前はわしらの子ではない。笹川家は苗字帯刀を許された庄屋で、上人さん、八卦見、占い師、預言者がたくさん来られる。その多くの人々が、お前の幼少のころから、異口同音に”この坊ちゃんはあなたの子ではありません。この汚れた世の中をきれいに掃除するために、天から授かった子ですから、厳しく、正しく、強く躾けなさい。”と注意された、二人や三人ではなく、多くの人たちからそのようなことを言われたので、鬼親父、鬼婆と恨まれるのを承知の上で、お前だけ厳しく躾けたのだから、悪く思わないでくれ」(笹川良一著 ”健康、長寿、幸福の秘訣”)
※これがもし本当であれば、笹川良一は鶴吉の息子でないと言うことになります。
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・国際勝共連合の笹川良一は中国共産党の鄧小平と仲良しだった
中国残留孤児帰還事業はここからきたのでしょうか?
・笹川良一は水を大切にしていた。
三男の陽平と台湾に出かけたさい、風呂に入らず、洗面台で顔を洗い、体を拭けと指示。
風呂に入れるホテルでも浴槽に湯をなみなみと注ぐことは許さなかった。
旅に出ても4、5日は下着を変えなかった。
また、笹川はこんな訓戒を残していた。
水六訓(六ですか、、、悪魔の数字)
一、あらゆる生物に生命力を与えるは水なり。
一、常に自己の進路を求めてやまざるは水なり。
一、如何なる障害をも克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性とを兼ね備えるは水なり。
一、自ら清く他の汚をあらい清濁併せ容るの量あるは水なり。
一、動力となり光となり、生産と生活に無限の奉仕を行い、何等報いを求めざるは水なり。
一、太陽を愛し、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と返事、霞と化してもその性を失わざるは水なり。
※東出融も水に拘っていました。
東出融さん。
あなたも笹川良一の影響を受けているでしょう?
水といえば、孔子がこんなことを言っていました。
【水は方円の器に随うの解説】より
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四角い器に水を入れれば水も四角い形になり、丸い器に水を入れれば水も円形になる。
転じて、人も環境や付き合う人物いかんで良くも悪くもなるということ。
「方」とは四角のことで、「円」とは円形のこと。
孔子の言葉で、『韓非子』に「人君為る者は猶盂のごときなり。民は猶水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり(君主たる者は水をいれる鉢のようなものである。人民は、その鉢の中の水のようなもの。鉢が四角なら水も四角い形となり、鉢が丸ければ水も丸い形を作る)」とあるのに基づく。
「随う」は「従う」とも書く。
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水から学ぶことは多いのですが、その一つをお話ししたいと思います。
「水は方円(ほうえん)の器に随う」という偈があります。水は柔軟な物の典型として方形の器であろうと円形の器であろうとその形に随って形を変えて寄り添うということであります。
人で言うなら心の柔らかさ、柔軟心(にゅうなんしん)の大切さを教えています。
その水も綺麗な真水がいいと思っていました。言い換えると、白分がきれいでないと他の汚れは洗えないと思っていました。
しかし、経験された方もあるかも知れませんが、洪水で泥水が家宅に浸水し、家具が泥だらけになったとき、泥で汚れた家具をきれいな水で洗ったら、しみが残ります。泥で汚れたものは、一度、泥水で洗ってからきれいな水で洗わなければならないのです。
平成25年に滋賀のわが市も洪水の被害に遭い、重機を使う復興は早く終えましたが、戸々の後片付けに大変な時間がかかりました。
人間関係もやはりそのようです。自分が「規則を厳守し、曲がったことが嫌い」という生き方の人は褒められこそすれ、少しも悪いことではないのですが、やりたくてもできない人の性格の弱さ、経済力の無さが理解できず、助けることが出来ないのです。きれいな水の人なのです。
「自分が汚れなければ、他の汚れを洗うこともできない」と思えるようになって初めて、清濁合わせ飲める度量ができるのだと思います。
非常時には、身近な存在の水に「光と希望」を見ることがあります。
「水・パン・もうふ」「SOS」と、道幅いっぱいに白い粉で書かれた文字が並んでいました。被災地をヘリコプターが空撮した写真に写っていたものです。書いた人の悲痛な声が聞こえました。「水、パン」の水は命の水です。
寒さ募る避難所には、心身を暖める「水」があります。お風呂や温かいみそ汁です。
被災地に冷たい雨が降りつづき地盤が緩めば、余震が新たな土砂災害につながります。絶望で濡らす非情な水もあります。
目、耳、口の自由を2歳で失ったヘレン・ケラーが最初に覚えた言葉は「水」であったといいます。
サリバン先生がヘレンの左手に井戸水をかけ、右の手のひらに指で「W-A-T-E-R」と書いた。それが、「私の手を流れる、すばらしい、冷たい何か」についた名前であることを知ります。水が魂を目覚めさせ、「光と希望」を与えてくれたと、自伝で回想されています。
水は一滴々々が集まり、岩をも、山をも砕く荒々しい試練を与える働きから、人の気持ちに寄り添える優しさまでを持っているのです。
—————- 転載ここまで —————-
水を悪用して変な考えを入れようとしているのがわかりますね。
笹川も水は方円の器に従うと、何度も発言しています。
・笹川良一も影響を受けた孔子を崇拝しているのが、生長の家の稲盛和夫。
世界孔子協会の名誉会長が生長の家の稲盛和夫。笹川良一に影響を受けた言動が目立ちます。さしずめ現代の笹川良一でしょうか?
三重苦とされたヘレンケラーも怪しいですね。佐村河内と同じ臭いがします。
また、水の無駄遣いはいけないけど、過剰すぎますね。
・街路樹のプラタナスが切られているところを発見し、木がかわいそう。すぐに当時の東京都知事の鈴木俊一に電話してもらうよう指示。
故鈴木俊一東京都知事
生き物を大事にしたがるのが、なんともまあ生長の家的。
※笹川良一もドルイド教を崇拝していたのでしょうか?しかも鈴木俊一は山形県大江町出身=毛利家の末裔。
(また、彼は動物も大事にしていた。ますます生長の家ですね)
・ハワイ出身の大相撲力士高見山と仕事をした。ハワイといえば悪魔崇拝
ハワイも悪魔崇拝の聖地=悪地でしたね。
・笹川は割り箸も何回も使っていた。サントリーの佐治敬三が使い終わった爪楊枝を皿に置いたら勿体無い。と言って、自分は胸ポケットからなんども使っている爪楊枝を出して使った。
(生長の家のSDGsにも繋がりますね)
大本教系カルトの創価学会もSDGsを提唱
JCIこと日本青年会議所もSDGSを推奨
これらのエピソードを見てもわかるとおり、笹川良一は生長の家の教えから影響を受けたことがわかります。(谷口雅春にも多少影響を与えたかもしれませんね)決して善人ではなくカルト思考を持った善人もどきでした。
維新の会はさしずめ笹川党と言ったところでしょう。
悪人は必ず裁かれます。
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