こんにちは、今回は長くなりそうなので、シリーズにさせて頂きます。今回はQアノンが創価学会ということについて書かせていただきます。
Qアノンがますます図に乗っている様子ですね。連中は『J団結の旅』と称して、日本中を布教活動しているようですが、その様が創価学会草創期の頃とそっくりな感じがあるのは気のせいでしょうか・・。
————————— 転載ここから —————————
当時の創価学会は、折伏の一点に純化された戦闘的な集団だったといいます。
私はその世代から少し離れているので、実際に経験はしていませんが、自分の父も以前折伏を受けた時の話しをしたことがありますが、それはそれはすごかったと言います(笑)
大きく発展しゆく過渡期でもあり、その時代にはきっと必要な経験だったのでしょう。
そうして経験し成長して、今の創価学会があるのだと思っています。
それはさておき、先生は、当時の信ずることにせっかちな会員の強引さや、情熱に任せて壮士気取りの青年の言動に、ひそかにつよい反発を抱いたこともあるといいます。
このときの心境を次のように書かれています。
「折伏しろっていうから自分の友人を10人ぐらい呼んだ。しかもだれも信心しない。一生懸命やっても友達は離れていく。・・・ 会合に行くのがやだから映画をみてしまった日もある。」
————————— 転載ここまで —————————
————————— 転載ここから —————————
湊川の決戦や!
62年(昭和37年)9月、灘区の神戸会館。
湊川支部(当時)の浦嶋秀雄が、池田会長の前で居すまいを正した。
「この生命の燃え尽きるまで、広布の旗を離しません!」
会長が深くうなずいた。
前月、神戸支部から分割して誕生した湊川支部。浦嶋は初代の支部長に任命された。
かつて浦嶋は大手商社の海外駐在員だった。戦後、財閥解体の憂き目にあう。人生を模索する中で仏法を知った。
すでに62歳。だが「実際の年齢から30歳を差し引いて」戦うと決めれば、たちまち32歳の青年である。勇んで前線に躍り出た。
「ここ一番の戦いや! 全国一になって、日本中をアッと言わせるんや!」
「湊川の決戦」が火ぶたを切った。
◇
60年代、新開地は、映画館や演芸場が軒を連ねる大繁華街だった。
湊川支部も、芝居小屋を借り切って結成式を開いた。庶民による、痛快な活劇の幕が切って落とされたのである。
兵庫区の古沢昭一は男子部の中心者。父親の借金を背負い、高麗人参や製菓原料などを卸す問屋に勤めていた。自身と一家の宿命転換をかけて奔走した。
湊川の流れは、北区に源流がある。兵庫区の洗心橋付近で西に流れを変え、長田区を抜けて大阪湾に注ぎ出る。
小さな工場や商店が多い長田区。
六つの鉄道が乗り入れる兵庫区。
緑豊かな北六甲にある住宅街の北区。
3区の頭文字を取ってNHK──日本社会の縮図のような地域である。
折伏戦の合間に湊川公園の銅像を見あげると、甲冑(かっちゅう)をまとった騎馬の楠木正成(くすのきまさしげ)が虚空をにらんでいる。
息子の正行を残し、わずか700騎で足利尊氏方の敵陣に切り込んだ武将である。
正成は敗れたが、俺たちは違う。
勝つ。必ず勝つ。勝って先生のもとに集うんや!
————————— 転載ここまで —————————
そういえば、Qがハッシュタグで使用している#WWG1WGA(我ら一丸となり共に進まん)は創価学会の折伏大行進に似ている感じがします。
しかも創価信者から楠木正成が関わった『湊川の決戦』という名が出てきました。楠木正成といえば『金剛山』であり、金剛山といえば、Qアノン工作員の(@qarmy_jp)が何かを拝むために登山をしていました。
ジョウスタージョウというYoutuberがいますが、彼も創価でした。彼のFacebookの友人を見ると創価関係者ばかりで、しかも仙波王仁(@prince_racing)の友人『桜井みう』とも友人。また同じ事務所の『徳川ミキ(@tokugawamiki)=徳川美妃』も創価です。
ジョウスター=城星=城聖=戸田城聖でしょうかね。
しかもジョウスターは満州国の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀にそっくりです。愛新覚羅溥儀にそっくりな著名人ですが、所ジョージ、Gackt、イケハヤ、画像診断・・・。
ちなみに、仮想通貨購入を煽って詐欺行為を働くイケハヤことイケダハヤト(@IHayato)も創価で、創価学会草創期に活躍をした戸田城聖にそっくりです。
なぜかジョウスター(@JOSTAR_PRODUCER)は吉祥寺に住まいを持ち、日本に長く住んでおきながら、アメリカ人であることを強調したがります。新手の在日でしょうかね。また、ジョウスターがやっていることも芸能人志望の人を捕まえてデビューさせてやると言ってお金だけ巻き上げる詐欺をやっていたという声が上がっており、Twitterで自分は1000人(の工作員)を呼ぶと豪語していました。
HitGirlですが、ナンシーペロシの画像をピエロ調にして、TweetTVにもうお前はフォローしないと言われていました。ピエロ調といえば、リチャード・コシミズでしたね。
またリチャードコシミズは、小沢一郎などもピエロ調に揶揄していましたね。
このHitGirl(@kie_pai)ですが、プロフィールを見るとこの人にそっくりな感じがしますが・・・。
MIW88 you-tuber:美しい色気 MIWCH(@MIWMIWMIW88)に似ています。Hitgirlは彼女の娘かもしくは本人かもしれませんね。
リチャードコシミズ(@eGiZm4HfLw1TZX9)に話を戻すと、彼は攻撃対象をピエロ調にするのを好んでいましたが、さらに彼はこんな画像を使っておりました。そう、虹です。虹といえば創価学会が好んで使う色合いでしたね。
さらにRapt氏を執拗に批判するLGBTのホモ細川隆好@hosotaka@hosotakaは生長の家信者。
生長の家ですが、創価学会池田大作が信者だったということがありました。
しかも池田大作はホモで、細川隆好もホモですから、またしても創価で繋がるということです。
Qに話を戻すと、Qにもホモが何人か見受けられます。フレデリッQショパンというアカウントです。彼は午前4時にEriから命令を受けているとのこと。Eriではなく、朝堂院大覚だと思いますがね。しかもショパンもホモっぽい気持ち悪い言動をしています。
Qが崇めるドナルド・トランプにもこんなことがありました。過去に、アメリカでドナルド・トランプを主人公にしたゲイ小説が発表されましたが、トランプ本人から特に抗議もなかったとのこと。
————————— 転載ここから —————————
なんだこれ! ドナルド・トランプ氏が主役のゲイ小説、Amazonでバカ売れ
さすが「自由の国アメリカ」の大統領選候補。
[Glycine,ねとらぼ]
467
Share
30
Pocket
Home
関連記事
過激な発言で話題のアメリカ大統領選挙候補者、ドナルド・トランプ氏が登場するゲイ小説「Trump Temptation: The Billionaire & The Bellboy」(トランプの誘惑:大富豪とベルボーイ)が、米Amazon.comのKindle Storeに登場するや、ゲイ&レズビアン小説部門のベストセラーに躍り出たようです。
Trump Temptation: The Billionaire & The Bellboy
いかにもヤッツケ仕事っぽいチープな表紙が最高だな! (画像はAmazon.comより)
発売から1週間ほどで、200件を超えるレビューに五つ星の高評価を得ているこの作品。著者は22歳の役者、エリヤ・ダニエルさん。Twitterで、「よーし俺今夜は酔っぱらってドナルド・トランプのゲイ小説でも書いて、明日にはAmazonで出版しちゃうぞー」と9万5000人のフォロワーにツイートした勢いのまま、たったの4時間で書き上げたようです。
advertisement
これ黒歴史になるパターン
著者のエリヤ・ダニエルさん
著者のエリヤ・ダニエルさん(画像はTwitterより)
2015年に映画化された官能小説「Fifty Shades of Grey」に着想を得たというこの小説、香港のトランプ・ホテルを舞台に、ナマナマしい描写が満載です。
日の光にねっとり光る脂ぎったオレンジ色の肌、素敵なネズミの巣のように乱れたボサボサの髪、彼は美しかった
彼の見事なケツが、美味そうなパンケーキの山のようにズボンの中で揺れていた。これほどパンケーキを渇望したことはなかった
トランプ氏の姿が目に浮かぶような文才に「今世紀最高傑作」「アツい!」と、読者のウケは最高。仏「ル・フィガロ」紙は、「米国政治情勢の文脈において、ヒネリも大胆さも兼ね備えた壮大な文学的ジョーク」と同姓婚に反対しているトランプ氏をうまくいじった作品だと絶賛しています。
ダニエルさんは、「トランプの誘惑」を三部作とするべく次作の執筆に着手しており、「他の大統領選候補のカメオ出演もあり得る」そう。トランプ氏からは特に苦情も出ていないようで、未開拓の支持層を拡げるチャンスと喜んでたりして? 日本での翻訳も待たれます。
————————— 転載ここまで —————————
さらにトランプはLGBTを批判していましたが、LGBTQについては批判をしていませんね。どうしてでしょうか???
————————— 転載ここから —————————
LGBTQ
読み方:エルジービーティーキュー
別表記:Lesbian、 Gay、 Bisexual、 Transgender、 Questioning
「LGBTQ(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Questioning)」とは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア・クエスチョニングの頭文字をとって作られた性的少数(セクシュアルマイノリティ)の人たちの総称。
【LGBTQの語源】
LGBTQという言葉は、レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)、クィア(Queer)またはクエスチョニング(Questioning)の頭文字から構成されている。レズビアンとは、自分を女性であると自覚している人による、女性への同性愛者のこと。ゲイとは、自分を男性であると自覚している人による、男性への同性愛者のこと。バイセクシャルとは、男性女性の両性を愛することができる人のこと。トランスジェンダーとは、身体的な性別と心の性別が一致しない人のことをいう。
性的少数と呼ばれる人たちの定義には、それぞれが男性であり女性であるという身体的な区別が前提として存在した。しかし、この定義は、自分自身の性について分類されたくない、確定したくないという気持ちを持つ人や、性をひとつに絞られたくないという考えを持つ人たちの立場を無視するものであったため、新たに「クエスチョニング(Questioning)」という、自身の性を明確には定義していない人々のことを表す言葉が誕生した。
また、「クィア(Queer)」という単語は「風変わりな」という意味を持つ英語で、元々は性的少数の人たちを蔑む言葉として用いられていた。しかし、当事者たちが、自己の立場は風変わりではないとこの言葉を肯定的に用い始めたため、現在では前向きな意味としての「性的少数」という理解で認識されるようになっている。
————————— 転載ここまで —————————
日本で流行していると捏造されている『Qムーヴメント』ですが、なんだかこれに似ていると思ったのは気のせいでしょうか。
ええじゃないか -Wikipedia-
————————— 転載ここから —————————
ええじゃないかは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。
伊勢神宮の御札が降るおかげ参りと違い、ええじゃないかの御札は地域で信仰されている社寺の御札が降ったため、現地で祭祀が行われる事が多かった[1]。降札があると、藩に届け出た上で屏風を置く、笹竹で家を飾る、酒や肴を供えるなどして町全体で札を祀った。名古屋の場合、降札後の祭事は7日間に及び、その間は日常生活が麻痺した。
目的
その目的は定かでない。囃子言葉と共に政治情勢が歌われたことから、世直しを訴える民衆運動であったと一般的には解釈されている。これに対し、倒幕派が国内を混乱させるために引き起こした陽動作戦だったという噂を紹介するものもある[2]。
歌詞
岩倉具視の『岩倉公実記』によると、京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだという。八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む、とあり、明治維新直前の大衆騒動だったことがわかる。また、ええじゃないか、の語源は、京の都下で叫ばれた言葉であったようだ。
歌詞は各地で作られ、例えば「今年は世直りええじゃないか」(淡路)、「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」(阿波)といった世直しの訴えのほか、「御かげでよいじゃないか、何んでもよいじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又はれ、よいじゃないか」(淡路)という性の解放、「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」(西宮)、「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」(備後)の政治情勢を語るもの、などがあった。
御札降りとええじゃないかと御蔭参り
※もともと御札降り、ええじゃないか、御蔭参りはまったくの別個のものである。
近畿や四国などの西日本圏では、ええじゃないか、という掛け声が見られるものの、東海地方ではそうした掛け声はなく、御札降りのみ共通点が見られる。また、東海地方では、狂乱騒動を御鍬祭りや御蔭参り(伊勢神宮参拝)に結び付けて、共通点とするという解釈がなされている。
ええじゃないかという掛け声を要件とすれば、岩倉公実記の記述をもって、京都発祥説になる。 福地源一郎の懐往事談においても、京都方の策動という噂があったが真偽のほどはわからないと記述されている。近畿・四国では、いずれも、よいじゃないか、ええじゃないか、という掛け声を伴う。
東海地方発祥説は、御札降りや狂乱騒動を共通点とみなし、御蔭参りに関連するものとして、7月・8月発祥説を掲げるものの、ええじゃないかに相当する掛け声や世直しの願望については要件外にしている。また、1968年~1987年という慶応から100年経過してから、つまり近年になって、東海発祥説が唱えられている。特に、豊橋発祥説は、1987年という非常に近年のことであり、森田家文書;留記は戦後になって開示されたものである。
————————— 転載ここまで —————————
『ええじゃないか』は『Qムーヴメント』とそっくりですね。工作員QmapEri(@okabaeri9111)とカオナシ界隈のツイートを見ますと、非常に俗的で、ふざけている感じがします。
しかも『ええじゃないか』は淡路、阿波、西宮、備後などで発生したと。
淡路といえば、パソナ島ですし、阿波といえば、稲田朋美にTweetTVにカタカムナ。西宮といえば、甲子園で、近隣に神戸と明石市があります。明石市といえば135度であり、ベンジャミンフルフォードですね。備後がよくわからないのですが。
稲田朋美は生長の家であり、『神戸ともみ組』の山下弘枝と繋がっていましたことを昨日の記事で書かせていただきました。山下弘枝は『楠公会』の会長であり、楠木正成の血を引いていましたね。
北朝と南朝が争っていることはRapt理論で解明されております。
「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。
また、Qの連中は秋篠宮を殆ど批判しませんね。(批判するといえば、ペドフェリア絡みで、徳仁天皇と雅子妃=北朝を批判するついでに)批判する感じ。
秋篠宮はネトウヨが支持していました。ここでも繋がるというわけです。
さらに、望月衣塑子が生長の家と暴露されたり、ハッシー(@20aska3)がさゆふらっと(@sayuflatm0und)であると暴露されたら工作員カオナシ(@369kaonasi,@kaonasi369)がハエの様にたかってきました。工作員カオナシも船橋を拠点にして、週に何回か大阪に出張しているようです。
カオナシは大阪市平野区にある『Selva』という喫茶店に頻繁に入り浸っているようです。しかも平日の朝に。平日の朝に喫茶店に入り浸っているということはカオナシも相当の上級国民ですね。
しかもSelvaのあるところから創価学会生野会館までのきょりは約1.7km。
生野区といえば、在日が多く創価学会が活発だと言われています。
他にもカオナシは吉祥寺のホープ軒と言われるラーメン屋も訪問しており、吉祥寺も創価学会武蔵野会館があります。
さらにカオナシ(@369kaonasi,@kaonasi369)はポルシェを保有し、レースに参加しているとか。数年前にツインリンクもてぎでレースで事故に遭い、多額の修理代がかかったことをツイートしていました。
ポルシェといえば、ロゴがまんまロスチャイルドですね。
しかもポルシェの紋章はこんなのにもそっくりです。相馬家の家紋『つなぎ馬』とそっくりでした。
相馬家といえば、麻生太郎ですし、JRAにも繋がりますし、JRAといえば、元横浜ベイスターズの佐々木主浩が馬主をしていましたね。佐々木の現役時代の背番号は『22』。『22』といえば、大本教で、出口王仁三郎でしたね。
オージといえば、仙波敏郎の息子『仙波王仁』(@prince_racing)であり、志村けんが生きていることを隠ぺいする工作に加担しましたね。
ポルシェに話を戻すと、今年の夏ごろに彦田商事の役員がポルシェで死亡事故を起こしました。彦田商事といえば、『昭和シェル』の販売店でした。
この彦田商事の役員も逮捕こそされましたが、お金を払って釈放でもされたのでしょうかね。
また、在日の生活保護受給者の中にはポルシェを乗り回している人もいるとか。にもかかわらず彼らが摘発されないのはなぜでしょうか??
また、彦田商事のある江戸川区葛西ですが、ヤクザの多い地域であり、チャイニーズマフィア=怒羅権の発祥の地で、関東連合と友好関係にあります。
————————— 転載ここから —————————
怒羅権(ドラゴン[1])は、日本の首都圏を拠点とする、中国残留孤児の2世・3世や中国人からなる[2]ストリートギャング[3]。
概要
「怒羅権」とは、「日本人に対する怒り、団結、権利」を意味する[4]。中国残留孤児帰国者の一時入所施設「常盤寮」があった東京都江戸川区葛西で1988年に結成された[4]。
怒羅権は、暴力団対策法の適用外に当たる集団であるが、刃傷暴行・拳銃所持・殺人・強盗・覚醒剤密輸・危険ドラッグ密売・みかじめ料徴集などの凶悪犯罪が多い。90年代は暴走族から発祥したが、逮捕者には30代以上が多く、50代で逮捕されている者もいる。構成員らは蛇頭や東北系チャイニーズマフィア(東北幇)などと連携し国際犯罪とも関係している。
関東連合と並んで、暴力団対策法の適用外にあたる不良集団、いわゆる“半グレ”の顕著な例と言われる[5]。警察庁の把握によれば首都圏の各地に複数のグループが存在し、総勢は数百名とも言われる[6]。2013年に準暴力団に指定された[7]。
情勢
勢力
暴走族グループは、東京都江東区、江戸川区[8]を縄張りとし、葛西怒羅権、深川怒羅権、府中怒羅権、王子華魂、赤羽華龍のようにいくつかの暴走グループがある。葛西怒羅権は2009年に金属バットで無関係な少年らの顔を殴る事件を起こしている[9]。怒羅権は刃物を所持しているため、他の暴走族から「包丁軍団」と言われている[10]。 包丁の他、ナイフ、鈍器でもって[11]、敵対する暴走族を襲撃している。
1990年代は怒羅権の凶悪犯罪が多く、五星紅旗を掲げ、武器を所持して警察(交番、パトカー)[12]を襲撃する事件を繰り返している。脱退しようとした構成員[13]や暴力団員[14]、通行中の一般市民を殺害する事件なども起こしており、1999年6月に発生した殺人事件でメンバー1人が現在も逃亡中で、全国に指名手配されている[15]。
組織
東京や横浜、大阪、福井、福岡にもグループが存在する[16]。東京都内でクラブの実権を握り、それらクラブでイベントを開くギャル界やサークル界への影響力を確立、久田将義(2013年)によれば、とりわけ東京渋谷の闇社会における影響力には関東連合のそれを凌ぐものがあるという[10]。
暴走グループは成人となるとマフィア的性格を帯び、東北グループ(東北幇)を形成する。通称「大偉(ター・ウェイ)」と「小偉(シアオ・ウェイ)」と呼ばれる兄弟関係を中心にいくつかのグループに分かれている。大偉グループ(約200人)や金山(キンザン)グループ(約130人)[17]などがある。
日本の暴力団が暴力団対策法で厳しく規制されて弱体化しているのに対し、怒羅権は半グレ組織であるため暴対法の規制がない。また、中華圏の犯罪者・犯罪組織や国際犯罪とも繋がりをもつが、怒羅権構成員は日本国籍者や一般永住者であることも多く、犯罪で検挙されても日本国外への退去命令や強制送還などの処分となる事はほぼ無い。
活動
中国人の経営する店へみかじめ料を要求して刃物で恫喝[18]、パチンコの裏ロム、ハイウェイカードやクレジットカードの偽造[19]、振り込め詐欺[20]、偽装結婚や不法就労[21]、覚せい剤の密売、窃盗(自動販売機、車上狙い、貴金属)などの犯罪行為を行っている[22][23]。02年9月には、住吉会系暴力団の幹部が歌舞伎町の喫茶店で中国人に射殺され報復とみられる事件が相次いだ[16]。
怒羅権の元リーダーは、残留孤児二世として来日し日本国籍と日本名を持つが、日本で高級車と貴金属の強盗・自動車部品密輸・カード詐欺などの犯罪行為を行い、覚せい剤密輸で一年間収監された。 怒羅権のメンバーは日中貿易など合法的なビジネスにも手を伸ばしている[24]。合法的な商売であっても客の取り合いなどで暴力事件を起こしている[25]。
他勢力関係
歌舞伎町で新興の福建グループ(三弟グループ)[26]が上海グループと抗争し共倒れると、東北グループが勢力を拡大。住吉会と対立し、2002年には射殺事件を起こすが、後に和解し協力関係を築く[27]。ある中堅幹部は2009年に受けたインタビューにおいて、山口組、住吉会、稲川会、および工藤会などの暴力団組織の関係者らとの自身の繋がりを示唆している[23]。関東連合とは友好関係にある[10]。
————————— 転載ここまで —————————
山口組といえば、朝堂院大覚、ベンジャミンフルフォードで、リチャードコシミズといえば客家の末裔でした。客家といえば、やはり半グレとつながりますし、半グレといえば関東連合。
関東連合と押尾学も関係があったとされ、芸能人モデルを輪姦した疑いもあります。
輪姦したということは、密教の教えに忠実なのでしょう。密教といえば、悪魔崇拝ですし、空海に繋がります。
空海も最澄も日蓮聖人も出口王仁三郎も深見東州も池田大作も同じ悪魔「サナト・クマーラ」を崇める妙見信仰者でした。
押尾学が生長の家村上正邦と繋がりがあることをRapt理論で解明されましたね。
RAPT×読者対談〈第131弾〉小林麻央の死は悪魔への生贄である。(悪の巨塔・日野原重明と市川海老蔵の深いつながり)
また、この怒羅権の元メンバーの『』は、更生したと自称し、慈善行為に勤しんでいるようですが。なんで、元ヤクザといい不良といい、都合よく更生できるんでしょうかね???
半グレ集団・怒羅権(ドラゴン)創設メンバーが「罪を懺悔する」
————————— 転載ここから —————————
普通、人って誰かを殴るときにためらうじゃないですか。でも俺らは、何度も喧嘩を繰り返しているうちに、その感覚が麻痺してしまった。相手が死ぬかもしれないとわかっていても、一切躊躇はなかった。俺たちにあったのは、世の中のすべてに対する”怒り”。それだけです。
東京都江戸川区西葛西の簡素な一軒家で、静かな口調でそう語り始めたのは、汪楠(ワンナン)氏(46)。最凶の半グレ集団「怒羅権(ドラゴン)」の創設メンバーだ。
「関東連合」と並び、怒羅権の名前は広く知られているが、その成り立ちは謎に包まれている。どのようにして怒羅権は生まれたのか。なぜ、犯罪集団になったのか。13年に及ぶ服役後、現在は受刑者の更生支援をするNPO「ほんにかえるプロジェクト」で活動する汪氏が明かした。
怒羅権は中国残留孤児2世・3世が中心になって作ったグループ。明確な設立日があるわけではないけど、怒羅権という名前がついたのは、’88年頃です。
俺は中国吉林省長春市で生まれ、中国残留孤児の母に育てられた。日本に来たのは’86年、13歳のときです。ウェイトレスとして働いていた母とともに、葛西のアパートに住み始めました。
日本に来て1週間後、近くの葛西中学に通い始めた。当時、葛西には「常盤寮」という残留孤児の受け入れ施設があって、葛西中学にはそこの子たちなど60人ほどの残留孤児ジュニアがいました。
俺も含めて、みんな日本語はほとんど話せなかった。当時は不良全盛時代ですから、相当イジメられましたよ。「中国人」だとか「バカ」だとか言われて、毎日、殴られる。だんだん、俺らも自衛のために固まって行動するようになる。やがて反抗心の強い奴らが、不良にやり返すようになる。それが、怒羅権の始まりです。
創設メンバーは12人。リーダーはいなかった。最初はカタカナで「ドラゴン」と名乗っていたんですよ。他の不良集団みたいに、壁に落書きとかしていたんですが、日本語ができないんでよく間違える。「トラコン」とかね(笑)。漢字ならわかるっていうんで、当て字で「怒羅権」となったわけです。
当時は暴走族全盛時代ですから、俺らも憧れてバイクに乗るようになる。カネがないから盗んだ単車を無免許で乗り回していました。暴走族として喧嘩を繰り返しているうちに、犯罪集団へと大きく舵を切る事件が起きる。’89年、「浦安事件」と呼ばれる乱闘です。浦安まで遠征した帰り道、怒羅権のメンバー8人が地元の暴走族に襲撃されたんです。50人を相手に、刃物を振り回して大暴れ。で、メンバーが相手の一人を刺し殺してしまった。
俺らとしては、正当防衛だった。でも刺した奴は殺人で逮捕された。そこから、警察に対する不信感と怒りが芽生えた。交番とかパトカーを襲撃するようになったんです。俺もよくやりました。江東区の深川署に、4~5人で火炎瓶投げたり、火をつけたバイクを突っ込ませたりね。
「浦安事件」から1年後くらいに、もう一つ大きな出来事がありました。マジメに働いている先輩と、地元の焼き肉屋でメシを食っていたら、たまたま居合わせたヤクザと喧嘩になった。そしたら先輩が大勢のヤクザにもみくちゃにされて、圧死しちゃったんです。それで、俺たちはヤクザにも敵対心を持つようになりました。組事務所を片っ端から襲撃。ヤクザとの抗争では、何人も仲間が死にました。
’90年頃、怒羅権は地元の暴走族はほとんど制覇して、王子や府中にも勢力を広げていった。全盛期、メンバーは800人近くいたんじゃないかな。ちなみに、「府中怒羅権」を作ったのは俺なんですよ。向こうの学校に転校していた時期があって、葛西の仲間を呼んで府中の不良を傘下に収めていったんです。
勢力が大きくなると、ヤクザになる奴も出てきた。怒羅権の組員が一声かければ、50人近く戦闘員が集まるから重宝されるんです。俺も、17歳で住吉会系の事務所に入りました。怒羅権を抜けたわけじゃなく、二足のわらじでした。
ただ俺自身は、18歳から少年刑務所に2年ほど入っていました。俺のカネを盗んだ組員の左腕を、日本刀で切り落としちゃったんです。相手は皮一枚で腕をプラプラさせて病院に担ぎ込まれたから、俺も警察に出頭するしかなかった。
やがて、俺みたいに極道になったメンバーを通じて、ヤクザのシノギ(仕事)を怒羅権が請け負うようになった。’90年代初頭に盛んだったのは、夜中にパチンコ屋に忍び込んで、台にイカサマをするシノギですね。朝、何食わぬ顔でイカサマ台に座って、何百万円も稼ぎました。その日食うものに困っていた怒羅権にとって、ヤクザのシノギは魅力的だった。
怒羅権が関与した事件は頻発しているけど、いまも構図はほとんど一緒。強盗もドラッグも殺人も、ヤクザを通じて怒羅権が仕事をするんです。
俺は少年刑務所を出た後、違法ポーカー店の仕切りをやっていたけど、25歳頃に組を破門になりました。別の組織と揉めちゃってね。で、怒羅権の仲間と詐欺を始めた。詐欺と言っても、手口は事務所荒らしです。夜、ヤクザの事務所に忍び込んで、小切手や手形を盗む。そして翌日、手下が銀行からカネを引き出すんです。
’00年に逮捕されて、13年間服役した。立件は2件でしたが、やったのは10件以上。10億円以上、稼ぎました。
服役中は、読書に没頭しました。抱えていた”怒り”はやがて消えましたね。俺たち怒羅権は、犯罪をする以外に生きていけなかった。でも、社会に悪意があったワケじゃないことに気づいたんです。
出所後は受刑者に本を送るNPOで活動しています。受刑者とは手紙のやり取りもしていて、「これまでの人生が不本意じゃなかったのか」と問いかけている。
怒羅権の幹部連中とは、いまも繋がりがあります。相談しているのは、怒羅権の解散について。いまの怒羅権のメンバーも、やりたくて犯罪をやっているわけじゃない。どうにかして、真っ当な道に戻そうと、みんなで話し合っていますよ。
————————— 転載ここまで —————————
また、怒羅権は警察を襲撃したとありますけど、死亡者が出たということは耳にしたことがありません。警察といえば創価ですし、怒羅権も創価の可能性が大ですね。現に24時間警察はヤラセだったという人の声があります。
不良でのし上がったといえば、三原じゅん子(@miharajunco)であり、三原じゅん子もレーサーでしたが。
三原じゅん子も子宮頸がんワクチンを強力に推奨していますし、男性問題でなんども離婚を繰り返している上に、相手の男性には生活保護を不正受給させています。過去には記者に暴行を働きました。
「三原じゅん子」の男遍歴 恋人を秘書に、“身内”の生活保護に疑念も
————————— 転載ここから —————————
「三原じゅん子」の男遍歴 恋人を秘書に、“身内”の生活保護に疑念も
これから妊娠・出産を迎える世代からすれば、死語、ということになるのだろう。
ツッパリ、である。
1980年代初頭に長ランや短ラン、ロングスカートなどのファッションとともに一世を風靡したツッパリはほどなくヤンキーという言葉にとって代わられる。
すると彼女の登場はさしずめ、帰ってきたツッパリ、といったところか。
「総理からは“しっかり頼みます”という大変重い言葉をいただきました」
9月23日、厚労省で会見に現れたのは新副大臣に就任した三原じゅん子参院議員である。
政治部デスクが言う。
「会見では終始安全運転に徹していた三原さんですが、副大臣就任をとても喜んでいたそうです。自身も患っていた子宮頸がんに対するワクチンの問題はライフワークとしていますし、何より総理肝煎りの政策を任されたことでテンションが上がっているのでしょう」
その政策とは菅総理が総裁選期間中にぶち上げた「不妊治療の保険適用」のこと。高額な不妊治療について、費用面の負担を軽くしようという新政権の目玉である。
「菅さんは総裁選の告示日に保険適用を唐突に表明しています。これに違和感を覚えた人は少なくなかった。実は裏でその振り付けを行ったのは三原さんだったのです。不妊治療の経験者である三原さんは総裁選の前から菅さんに直接レクチャーをしていましたし、厚労族議員も“あれは三原さんが菅さんの耳元で囁いたからだ”と冷ややかに話しています」(同)
三原氏はこれをデジタル化推進、携帯電話料金値下げに並ぶ、菅政権の最重要課題に位置付けさせた。自分が焚きつけ、実行する副大臣に任命されたのだから、気分が高揚したのも頷ける。
内心は一足飛びに厚労大臣に大抜擢されないか期待を抱いていたそうだが、ともあれ、彼女はヤル気マンマンだそう。
「着任して早々、厚労省幹部に対し『指導』を行っています。なんでも、“規制を打破する気持ちで”とか、“あなたたちは現場を知らないからね”なんてお話しになっているとか……。いきなりの上から目線で役人も面食らっていますよ。やはり菅総理が後ろ盾だから強気になれるのでしょう」(厚労省関係者)
菅総理と結託し、ケンカ上等。早速、厚労省にも「殴り込み」で睨みをきかせたというわけだ。
もっとも今回に限らず、彼女のこれまでの来し方を振り返れば、通底しているのは「ツッパリ」と「男」と言えるだろう。目的のためにはケンカも辞さないヤンキー気質と愛した男は捨て置けない姉御肌が随所に見られるのである。
64年、東京都に生まれた彼女の存在が世間に広く認知されたのは79年にTBS系で放映された「3年B組金八先生」だった。茶髪にロングスカートの不良役を演じ、
〈顔はやばいよ、ボディをやんな〉
という名台詞は今に至るまでの三原氏のイメージを決定づけたといえる。
高給取りの兄が…
そのイメージが三原氏の「本性」として表沙汰になったのが、87年のカメラマン暴行事件。当時、交際中のミュージシャンと彼女が豊島区の路上で「フライデー」のカメラマン2人に写真を撮られ、激高したのだ。
当時を知る芸能デスクは、
「三原さんはカメラマンに馬乗りになり、髪を引っ張った上、頭を路上に打ち付けた。要はボコボコにしたわけで、その場で現行犯逮捕。釈放された後、起訴猶予となりましたが、ツッパリイメージを地で行く暴行事件でした」
そんな三原氏の1度目の結婚は90年。だが、カーレーサーの夫との結婚生活は9年で破綻し、同年にはお笑い芸人として活躍していたコアラ(後にハッピハッピー。に改名)と再婚する。テレビでそのアツアツぶりを見せつけ、2004年には二人の個人事務所を立ち上げた。コアラが社長に就任するも、やはり8年で結婚生活に終止符を打った。原因はコアラの浮気とされている。
現在は別の芸能事務所を経営するコアラに今の三原氏について尋ねると、
「もう十数年前に別れていますから。当時は(政治家になるとは)感じていませんでしたし、普通に女優、タレントとしてお付き合いしていました。なんで政治家になったのか、ちょっと僕は分からないので」
バツ2となった彼女は心機一転、政界へ。華やかな芸能界から有象無象(うぞうむぞう)が蠢(うごめ)く永田町に場所を移しても、ついてまわるのはやはり「男」だった。
2010年、参院の全国比例で初当選すると、コアラに代わって結ばれていた内縁の夫との関係がやり玉に上げられた。
三原議員の知人によれば、
「三原さんのバックバンドでキーボードを担当していた男性と付き合い始めたのです。彼は11歳年下で、議員になる前から同棲生活を送っていました」
当選すると、この男性を公設第1秘書に据え、食えないバンドマンを収入面でも面倒を見るように。その年収は約800万円。つまり、税金で内縁の夫を養っていたことになるのだ。しかも三原センセイの随行係と称して議員会館にはほぼ姿を見せず、秘書としての勤務実態は怪しいかぎり。なにしろバンドマンを続けていたのだから、公金を受け取る秘書職が副業ということになる。
その公私混同ぶりを週刊誌で報じられると、公設から私設秘書へと切り替えたのだが、その給与も政党支部から支出され、原資には税金が含まれていた。さらに男性の親族が生活保護を受けていることも明らかになった。
本誌(「週刊新潮」)は13年にそのことを報じている。
証言した男性の知人は当時こう語っている。
「地元にいる彼の妹さんが困窮状態にあり、生活保護を受けとるんですわ。国会議員の公設秘書として高給をもらっとる兄が、妹の支援をしとらんのは問題でしょう」
まず親族が手を差しのべ、そうした支援者が周りにいない前提で申請するのが生活保護の大原則だ。しかも当時は不正受給が社会問題となっており、何より三原氏自身が自民党で生活保護見直しを提言していた。“身内”に大甘と指摘されても仕方のない事案だったのだ。
————————— 転載ここまで —————————
多額の議員報酬を貰い、稼いでいるのですからその中から少し補助してあげればよいのですが。彼らは心から腐っている連中ですね。
内調を中心とするネトウヨたちはそのことについて一切ダンマリです。
また、ヤンキーは金持ちの子供がなると言われていますし、彼らの親の多くが創価信者と言われています。
Qアノンの氣功めわん(@kikou_mewan)は真言宗信者で、池田大作の両親は真言宗信者でした。Qはほかにも般若心経を唱えたり、浄土宗を信仰している連中もいるみたいです。
真言宗といえば、空海ですし、池田大作の生家は真言宗を拝んでいましたね。Qアノンは創価学会だということです。
だから、国会議事堂前で人数を動員して写真を撮ったり、フライデーの取材を受けることができるというわけです。
次に続く・・・