「越国」と「北陸(福井、石川、富山、新潟)の関係

越国

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

2024年になってから、早速大きいニュースが飛び込んできました。

能登半島地震

能登半島地震については、既に人工地震であることが数多くの人たちから暴かれました。

前日(大晦日)に近隣の施設で爆発事故があったとのことですが、Yahooニュースの記事が削除されています。

なので、この地震も人為的に起こされた地震=人工地震である可能性は非常に高いと考えられます。

「能登半島地震は”人工地震”だ」とポストすると、相変わらず工作員が寄ってたかってきますが、”人工地震”で土地を乗っ取ることについてはRAPT理論によって解明されています。以下の記事と動画を確認ください。

震度7の地震があった石川県中能登町で『スマートシティ構想』が進められていたことが判明 土地強奪を狙った人工地震だった可能性大

また、能登地方の多くの市町が「スマートシティ計画」に参加しておりました。昨年に起こった「ハワイの大火災」も「スマートシティ」計画があったとのことですので、今回の能登地震も「スマートシティ」計画のために、日本政府と中国共産党が意図的に起こしたと言っても過言ではありません。

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前述の有吉弘行ですが、今回の「能登地震」を予告するかのような下品なツイートをして物議をかもしています。

「越国」の件は1月1日に構想が沸きましたので書かせてもらっています。ですが、同日に能登半島地震、2日に羽田空港の事故がありました。何らかの予感かもしれません。

土地の名前から歴史を考察するのは「地政学」というそうです。ですが、私はそこまで大げさなことは書いていないので悪しからず。

越国というのは、春秋時代に中国浙江省付近にあった国で、稲作や銅の製造で栄えたとのこと。

越(えつ、紀元前600年頃 – 紀元前306年)は、春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国。首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、南方の長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたと言われる。越は楚、呉など長江文明を築いた流れを汲むと考えられており、稲作や銅の生成で栄えた。

『史記』をはじめとする諸書では、夏の少康の庶子を越に封じたことを越の君主の起源とする伝説を述べている[注釈 1]。

引用元:越 Wikipedia

また、越という国は隣国の「呉」という国と争っていました。

呉との抗争
隣国の呉とたびたび抗争し、紀元前515年、楚に遠征した呉王闔閭の留守を狙って越王の允常[1]は呉を攻め、呉領内を荒らしまわった。更に混乱に乗じて実弟の公子夫概が兄に対して謀反を起こすなど、闔閭の立場が大いに揺らぐ事となり闔閭は越を憎んだ。やがて紀元前496年に允常が死去して、太子の勾践が父の後を継いで即位した。その報せを受けた闔閭が越を攻めたが敗死した。

引用元:越 Wikipedia

また、越国は「稲作のルーツ」だとか。

春秋時代の越国であり、戦国時代には楚に属した。秦始皇帝によって統一され、会稽郡が設置された。漢代には揚州に属し、三国時代には呉の領域に入った。唐代に浙江東西両道が置かれて、浙江の名が始まった。五代十国時代には杭州を都とする呉越国が成立した。北宋が南渡して臨安(杭州)は南宋の都となった。元代に浙江行省が設置され、明には浙江布政司、清代に浙江省が成立した。この地の7000年前のカボト遺跡からは水田の跡が見つかっており、その籾のDNAはジャポニカであることから、この長江沿いの地域は日本の稲作伝来ルーツ地と見なされている。[1]

引用元:浙江省 Wikipedia

越というと、日本人である私はこの用語を思いつきます。「越前、越中、越後」すなわち現在の「福井県、富山県、新潟県」である「北陸地方」です。

※石川県のみ加賀国。能登地方については能登国。

越前国 Wikipedia

越中国 Wikipedia

越後国 Wikipedia

加賀国 Wikipedia

能登国 Wikipedia

これらの国は7世紀に「越国」(高志国ともいわれる)から分割されたと言われています。

越国(こしのくに)は、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域の、大化の改新以前の日本古代における呼称である。その後、7世紀に設けられた地方行政区分としての「国」に引き継がれた。当時は高志国と書かれ、越国は8世紀以降の書き方である。のちに令制国への移行に際して分割され、越後国・越中国・能登国・加賀国・越前国となった。越州(えっしゅう)・三越(さんえつ)などの地域名称の語源である。

引用元:越国 Wikipedia

春秋時代の中国の「越国」は「日本の稲作伝来ルーツ地」でしたが、日本の「越国」の地域もおいしい米が獲れることで有名。米を使った清酒を製造したりしています。

コシヒカリ Wikipedia

新潟の日本酒おすすめ25選。有名・高級な銘柄や飲み比べセットなどをご紹介

米づくりのさかんな福井県

石川のお米データ JA全農

越中とやま食の王国

福井県、石川県、富山県、新潟県は日本有数の豪雪地帯であり、標高1000~2000m級の山から流れる雪解け水で栽培されたおいしい米が獲れる地域です。またお酒の製造も盛んでした。

新潟清酒の変遷と日本酒学

この「越国」一帯を治めたのが「上杉謙信」と呼ばれる戦国武将でした。

上杉謙信

彼には色々逸話があるそうですが・・・。

特に、驚いたのが、上杉謙信が「奴隷貿易」を行っていたとのこと。

上杉謙信は何で奴隷商人と言われているの? Yahoo!知恵袋

永禄9年(1566)2月、小田氏治の籠る常陸小田城(茨城県つくば市)は、上杉謙信の攻撃で落城した。落城直後、城下はたちまち人身売買の市場になったという。

 その様子は『別本和光院和漢合運』に「小田城が開城すると、謙信の意向によって、春の間、人が20銭・30銭で売買されることになった」と記されている。この一文を読む限り、人身売買が謙信の指示に拠ることは明らかである。つまり、謙信の公認だったといえよう。おそらく城内には、周辺に住んでいた農民らが安全を確保するため逃げ込んでいたのだろう。戦争になると、農民らが城へ逃げ込むことは珍しくなかった。

 ちなみに20銭といえば、現在の貨幣価値に換算して、たったの約2000円にすぎない(30銭は3000円)。おそらく、雑兵たちは相当な数の女・子供(あるいは男も)を生け捕りにし、奴隷商人を介して売ることにより、利益を得ていたのだろう。まさしく戦争に出陣する「旨み」であり、将兵にとって賞与のようなものだった。なお、城下での攻防戦で、人や馬が連れ去られた例はほかにも報告されている。

引用元:《日本人同士の人身売買》1人あたりの値段は約2000円…上杉謙信の指示で始まった“連れ去り商行為”のリアル
『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』より #2

このころのほかの戦国武将、大名も「奴隷貿易」を行っていたとのことらしいですが・・・。

上杉謙信は自分から戦争を頻繁にしかけ、数多くの遠征も実施していたそうです。戦争や遠征にはお金がかかりますが、前述の「米どころ」しかり、「越後国」は「金山」があり、当時の着物の原料である「青苧」が獲れることもありかなり裕福だったそうです。

上杉謙信の経済力を支えたものは一体なに?

また、上杉謙信は宿敵である「武田信玄」に塩を送った記述もありました。当時の塩は貴重品だったので、相当裕福でないとできないのではないでしょうか。

武田信玄(上杉謙信の宿敵でありライバル)

敵に塩を送る Wikipedia

実際に、上杉謙信が戦に出るとき、豪勢な食事で部下をもてなした記述があります。

謙信は武神・毘沙門天を厚く信仰し、旗印にも「毘」の文字を使用していました。日頃は質素倹約に努めていましたが、戦の前になると多くの米を炊かせ、山海の珍味を豊富に並べて部下たちに振舞ったといいます。

謙信の倹約ぶりを知っている部下たちは豪勢な食事に感謝し、より結束を固めていきました。謙信の行いは、新潟や山形の一部で「お立ち飯」という風習で残っています。

「越後の龍」、「軍神」といわれる謙信は、戦上手なだけでなく達筆で和歌にも通じ、琴を奏でる趣味もありました。

また、物語は「源氏物語」など恋愛系の書物を好んでよく読んでおり、上洛時に開かれた歌会でも見事な雅歌(恋歌)を詠み、参加者を感嘆させたといわれます。

引用元:上杉謙信 戦国武将

春秋時代の中国「越国」もかなり裕福だったそうです。

歴史的に見ても越が取り上げられるのはこの勾践の時代ぐらいのもので、その前も後もまるでいないかのように記録が出てこない。

しかし越はかなり裕福な国だったという説が強い。

その理由は子安貝にある。

当時、まだ始皇帝が中国を統一する前の話、中国には統一的な貨幣はなく、物々交換に近いか、通貨の代わりを子安貝が担っていた。

子安貝は中国大陸では取れず大変貴重で、かつ一定の流通量があった。

その産地は沖縄の石垣島であったと言われている。琉球文明は沖縄であるかは不明だがかなり古くからあり、現在の浙江省にあたる越は琉球を通じて子安貝を大陸に流通させる役割を担っていたのではないかという説があり、越はかなり裕福な国だったという。

そんな越が初めて出てきたのが勾践の父允常の時代からであった。

引用元:春秋の五覇最強の男!臥薪嘗胆で有名な「越王勾践(こうせん 句践)」

日本に話を戻すと、越国(福井、石川、富山、新潟)からは数多くの著名人が輩出されています。

上杉謙信以外では特に以下の連中がRAPT理論でもおなじみです。

稲田朋美 越前市

【生長の家・谷口雅春の子孫】稲田朋美がLGBT理解増進法案を成立させ、カルト思想を広めようと悪あがき

元谷芙美子 福井市

森喜朗 能美市

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元谷外志雄 小松市

永井豪 輪島市

浅野総一郎 氷見市

数土文夫 富山市

馳浩 小矢部市

石川県の馳浩知事、「そろそろ移民政策にかじを切る段階だ」と発言し、批判殺到

安田善次郎 富山藩

上野千鶴子 上市町

【マルクス主義フェミニスト】社会学者の『上野千鶴子』、「みんなで貧しくなろう」と言いながらタワマン・別荘生活をし、結婚制度を否定しながら結婚していたことが発覚し大炎上

角川春樹 富山市

田中角栄 柏崎市

【創価どうしの助け合い】 田中角栄の子孫である詐欺師・竹花貴騎が、青汁王子とコラボして復活を目論む

山本五十六 長岡市

前島密 上越市

北一輝 佐渡市

小和田恆 (小和田雅子=雅子妃の父親)新発田市(本籍は村上市)

皇后雅子さまは、池田大作の娘であり、福田赳夫の孫だった!!

問題の馳浩も「越国=越中国=富山県」出身でした。

馳浩 石川県知事

もしかしたら、日本の「越国」には中国の「越国」=「浙江省」あたりに住んでいた人が、移住してきた可能性が考えられます。

となると、今回の能登地震も「越国」と関わり、「中国人」をルーツにもつ連中と中国共産党がグルになって仕掛けた「人工地震」の可能性が高いと思います。

このツイートにも「ゴミノート」と呼ばれる「コミュニティノート」がついていましたので、イルミナティが能登地方に人工地震を起こして、土地を強奪しようとしたことは真実だと思われます。

また、「能登地方」では「石油」も取れるとのことですので、やはり資源を狙った「中国共産党」が絡んでいるのでしょうね。前述の「羽田空港」の事故といい、キナ臭すぎます。

羽田空港の事故も、「離陸」していないのに管制塔から「着陸」指示させた?した?疑いがあるそうです。

「海保機が離陸していないのに管制塔で着陸許可が出た可能性も」元日航機長(2024年1月2日)

また、海上保安庁には数千人の中国人と結婚している(その妻は本国=中国共産党へ報告する役割を持つ)といううわさもありますので、もしかしたら、死亡した海上保安庁職員は、殺された可能性が高いと思われます。そして残った遺族(中国人)は保険金でウハウハと。

こういった悪事を行って、日本を乗っ取ろうとする連中が真に裁かれることを心から祈ります。

【完全解明!!】コロナパンデミックは、大本教・出口王任三郎の計画的犯行だった!!

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