「エビデンス」と自分の甘さとの戦い

おはようございます。

創価による悪事が次々と暴かれて、イルミナティの勢力もガタガタになっているようです。そうはいっても、相変わらず、コロナという嘘パンデミックで緊急事態宣言を延長したり、副作用が疑われるコロナワクチンを接種させようとしたり、嘘コロナで解雇。またはどさくさに紛れて我々の生活に影響がでるような政策を通したりして我々を苦しめようとしていることは変わりがありません。

コロナが嘘だ、人工地震がある、花粉症はケムトレイルによって作られた病気だと言うことが暴かれても、「陰謀論」「トンデモ」とレッテル貼りをする連中がいることに驚きます。

彼らは「エビデンス」なんて偉そうな事をいっちょ前に言いますが、その「エビデンス」自体が捏造または偽装されたものです。

我々が関わってる業界でも「エビデンス」という言葉がよく使われますが、「エビデンス」ありきで議論が進むというか・・・。その論が正しいと導くように進める感があると思います。

また、「エビデンス」はよく犯人捜しに使われますが、(もちろん正しいことも数多くあります)犯人を捜して問い詰めたところで、そもそもの大元がダメなケースがあり、不具合やミスを引き起こすといったこともあるようです。いわゆるオペレーションミスというやつです。

オペレーションミスも一概に環境のせいにしてはいけないです。私も経験がありますが、「気」を抜くと、ミスをやらかすことが多々ありました。「気」を抜いたら、なぜか知らないけど「何か」が入ってきてミスに繋がるのです。

しかしながら、「気」が抜けることも多々あるのです。

どうしたら「気」を抜かずに物事に取り組めるのか、我々は考えていかないといけません。

ですが、世の中には多数色々なものが溢れ、仕事にしても何にしても”それひとつ”だけに取り組めるなんてことは殆どありません。仮に”それひとつ”に対して取り組める時間や環境があっても、気持ちが散乱してしまうことがあります。

何故でしょうか?

気持ちの甘さもさることながら、本気じゃない。そこまで本気じゃないとか。飽きが来ているとか様々な問題があるでしょう。

この甘さを乗り越えないと成長がありません。

いくら強力な「エビデンス」を証明しても、それに甘んじていれば成長はありませんし、また「エビデンス」を証明しようとすらしないのも問題です。

問題というか、向上心がない。まさにそれを突き付けられた感があります。

端的に言うと、「お前、もっとやれよ!がんばれよ!」ただそれだけなのです。

それは私のことなのですが(汗)。

現状に胡坐をかくなということなのでしょう。

他人事ではなく、口先だけではなく、自分事で動けと。