こんばんは、今回は前回の流れから分かれた話を書かせていただきます。
突然ですが、みなさんは、さゆふらっとまうんどという陰謀論者をご存じでしょうか?Rapt理論を知っている方はご存じですし、リチャードコシミズや朝堂院大覚、Qアノンなどの陰謀論をかじっている人たちも知っている方は多いのではないでしょうか?もちろん、一般の方たちにさゆふらっとまうんどって知ってる?って言っても( ゚Д゚)ハァ?レベルでしょうが。
さゆふらっとまうんどの本名は平塚正幸と言いますが、彼はところどころで騒ぎを起こしています。記憶に新しいのが、N国の代表立花孝志からN国で船橋市議会議員に立候補してほしいと依頼されたにも関わらず、ウジウジ悩んで断ったという話がありました。そのあと、彼らは争っているようですが。彼らが争っている様子が、Youtube動画で上げられていますが・・茶番なのかと疑いたくなります。
ですが、彼の本音はこうだったのでしょう。立花孝志の下で働く?冗談じゃないと。
立花孝志も大概ですが、平塚正幸も中々のタマ=イルミナティなのではないでしょうか?立花孝志といえば、嵯峨天皇の血を引く朝堂院大覚と仲良しでしたし、さゆふらっとまうんどこと平塚正幸も朝堂院大覚と仲良しでした。
となると、彼ら(立花孝志とさゆふらっと)が仲良しと考えても良さそうなのですが、たぶん彼らは俺が上になりたいという争いをしているのでしょう。
さらにさゆふらっとまうんどは度々Raptさんに対して嫌がらせをしています。
「さゆふらっと」さんが私のメールを勝手に自分のブログにアップしています。
さゆふらっとが勝手にRaptさんとの対談をyoutubeにアップ。それに対してRaptさんが抗議をしたが、一切受け入れなかったのが平塚正幸でした。
また、Rapt理論で、リチャードコシミズ、副島隆彦、ベンジャミンフルフォード、朝堂院大覚などの陰謀論者が上級国民であり、嘘をばら撒くことをばらしたら、次から次へと嫌がらせをされています。
何故でしょうかね?Raptさんは陰謀論者の矛盾を解いてあげているのに感謝をされずに、逆に嫌がらせをされるとは?
Rapt理論を解明すればするほど、安倍晋三・麻生太郎・東出融達が生長の家や新天地イエス教、全能神教会の工作員を使い嫌がらせをされる。
しかもKawataさんとNanaさんは殺されそうになっています。
その数か月後に、長野県東御市の気持ち悪いコメ農家武井繁剛が突然Raptさんの教会に訪問。Kawataさんが帰ってください、警察を呼びますよ。と言ってもしぶとく居続ける根性。
Raptさんの教会に不法侵入してきたのが、武井繁剛という米農家でカルト宗教全能神教会とも繋がっています。東御市といえば、土屋圭一で、レーシングドライバーです。土屋ですから、武田信玄の家臣土屋昌恒の末裔でしょうかね?
KawataさんとNanaさんの事故でRapt氏が撮影をしようとして妨害したのが、愛媛県消防本部でしたね。愛媛県消防本部といえば、仙波王仁。彼もレーシングドライバーです。
仙波王仁もさゆふらっとと繋がっていましたね。
さゆふらっとまうんど(平塚正幸)と竹原信一はFacebookの友人同士でした。大河原宗平・竹原信一は仙波敏郎(仙波王仁)と繋がっています。
杉田穂高(アメノウズメ塾)、
大河原宗平、
竹原信一、
服部順治(TweetTV)
仙波王仁(仙波敏郎の息子)
飛松五男
竹原信一
輿水正(リチャードコシミズ)
また、平塚はRaptさんをどこかの団体に属していると決めつけていましたね。(カオナシやハッシーなどの工作員は今でもそんな感じです)
自分がどこかの団体(フリーメイソン)に所属しているから隠すために、相手を決めつける手法を取ると。
そのさゆふらっとまうんどですが、彼の正体がわかってきました。ズバリ言いますと、彼は土師氏の末裔です。
なんでこんなことが分かったのかと言いますと、凍結前にハッシーがさゆふらっとまうんどであるとばらされたツイートからヒントを得て、さゆふらっとまうんどは古墳の意味じゃないか?とツイートしました。
まうんど=moundは日本語にすると古墳というそうです。
さゆ=正幸、ふらっとまうんど=平塚 まうんど=平塚=古墳ではないのでしょうか?
で、先述のハッシーとカオナシとのやり取りで、カオナシがさゆふらっとまうんどさんと呼んでいましたね。
しかも、私がカオナシのTwitter画像をGoogle画像検索をかけたら、石舞台古墳が出てきました。
奈良の石舞台古墳が検索結果に出てくる
奈良の石舞台古墳が検索結果に出てくる
なんでこんな一般人のアカウントの写真が奈良の古墳と関係があるのか不思議でなりません。ちなみに、さゆふらっとまうんどこと平塚正幸の画像を使って検索してもさゆふらっとまうんど関係の検索結果しか出てきませんでした。
となると、平塚正幸の検索結果に古墳を出すのはまずいので、平塚正幸=さゆふらっとまうんどと親しい、工作員カオナシの検索結果に表示たのではないでしょうか?
現にさゆふらっとまうんどの彼女は電通関係者と言われています。安倍晋三はツイッター=電通とズブズブでしたから、さゆふらっとまうんど=平塚正幸もツイッター=電通関係者ということです。
この記事は月間ムーとつながりの深いインチキ心理学者苫米地英人がRaptさんに工作してきたことが暴かれています。となると、さゆふらっとと苫米地英人も関係があります。
また、さゆふらっとまうんどはRaptさんと対談したあとに、Raptさんの個人メールアドレスを勝手に、アダルトサイト(出会い系サイト)に登録する嫌がらせをしました。
ネット上にはびこる工作員の正体に関する幾つかの考察と調査結果。
私もツイッター社に私のアドレスを出会い系サイトに嫌がらせをされ、それを指摘したらアカウントが凍結されました。何故でしょうかね?
私は安倍晋三や内調の事を批判していましたから、初めはそれかなとも思いましたし、過去にもなんども凍結まがいの事をされたから、電通=ツイッターによる警告=脅しなのかなとも思いました。
安倍晋三と内調に対する批判。
本田圭佑が同和の出身だとツイートしたら、のりこえねっと=生長の家=大本教系の工作員が群がってきたし、安倍晋三と内調が関係があり、1ツイート数百円とツイートしたら大本教系のネトウヨ工作員が群がってきました。つまりツイッターは工作員を大量に抱えている言論弾圧組織だということです。
さらに5月の地震騒ぎで、人工地震ではないかと疑うツイートに対しても大本教系の工作員が群がってきました。彼らは前澤友作をリツイートしていました。
私はさらに前澤友作が脱税をしているのではないかとツイートしたこともあります。すべて大本教が絡んでいますね。
安倍晋三も前澤友作も大本教であるとRapt理論で暴かれています。
「ZOZOTOWN・前澤友作」は、「天皇家・生長の家」と、ズブズブの関係です。
Rapt理論はただの陰謀論ではなく、天皇家が悪の首魁だと説いています。さゆふらっとまうんど、リチャードコシミズ、ベンジャミンフルフォード、朝堂院大覚、東出融らの工作員にとって天皇家の悪事をばらされるのはまずいのでしょう。だから、あれだけ嫌がらせをするわけです。
また、ハッシーって土師氏のことじゃないか?と思い調べてみるとこんなのがでてきました。
土師氏についてはRapt理論で解明されています。
【神戸児童連続殺傷事件】の裏で行われた270億円もの「巨額利益供与事件」の真相
「明治維新」は北朝から南朝へのすり替えではなく、北朝の国造りのための基礎固めだった可能性大。
ハッシー=さゆふらっとまうんど
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土師氏(はじうじ、はじし)は、「土師」を氏の名とする氏族。
天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。
概要
古代豪族だった土師氏は技術に長じ、出雲、吉備、河内、大和の4世紀末から6世紀前期までの約150年間の間に築かれた古墳時代の、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族である。
大阪府藤井寺市、三ツ塚古墳を含めた道明寺一帯は、「土師の里」と呼ばれ、土師氏が本拠地としていた所で、その名がついた。道明寺天満宮の前身は土師神社であり、道明寺は土師氏氏寺である。
備前国邑久郡土師郷一帯は、飛鳥京跡出土の木簡では「大伯郡土師里」と呼ばれ、「土師寅」が米を送ったことが墨書されており、土師氏が本拠地としていた所でその名がついた[要出典]。
土師氏は野見宿祢を祖先とする氏族で、野見宿祢については、『日本書紀』垂仁7年7月7日条にその伝承が見える。それによると、大和の当麻邑に力自慢の当麻蹶速という人物がおり、天皇は出雲国から野見宿祢を召し、当麻蹶速と相撲を取らせた。野見宿祢は当麻蹶速を殺して、その結果、天皇は当麻蹶速の土地を野見宿祢に与えた。そして、野見宿祢はそのままそこに留まって、天皇に仕えた、とある。野見宿祢の「野見」は、石材を加工する際に使われている道具である「ノミ」と関連があるとみられており、野見宿祢が石材とかかわっていたと言う推定がある[独自研究?]。この伝承は、古墳の石室などに用いられた安山岩質の讃岐岩の石材を供給する二上山の支配権が、在地の当麻氏の手から、野見宿祢に移ったことを示唆する[独自研究?]。
野見宿祢に関する2つ目の伝承として『日本書紀』垂仁32年7月6日条があり、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命が亡くなった。それまで垂仁天皇は、古墳に生きた人を埋める殉死を禁止していた為、群臣にその葬儀をいかにするかを相談したところ、野見宿祢が土部100人を出雲から呼び寄せ、人や馬など、いろんな形をした埴輪を造らせ、それを生きた人のかわりに埋めることを天皇に奏上し天皇はこれを非常に喜び、その功績を称えて「土師」の姓を野見宿祢に与えたとある。 当時も技術的には出雲が先進であったことを示唆する[独自研究?]。
後に、土師猪手が周防国佐波に来目皇子の殯宮の造営や、天皇の詔によって吉備姫王の葬儀執行を担当した[要出典]。また、土師氏は、河内国に古墳墓を増産し、隆盛を誇った[要出典]。
続日本紀によれば、桓武天皇の母方の祖母・土師真妹は山城国乙訓郡大枝郷(大江郷)の土師氏出身である。その娘の高野新笠も、この土師氏の里で幼少期の桓武天皇を養育したと見られている[独自研究?]。やがて土師氏の一族は、桓武天皇にカバネを与えられ、大江氏・菅原氏・秋篠氏に分かれていった。
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ハッシー=はじうじ、はしうじ=土師氏=野見宿祢を子孫とする氏族に繋がります。ハッシーはさゆふらっとまうんどですから、さゆふらっとまうんどの先祖は野見宿祢の一族なのでしょう。
Raptさんが解かれた明治維新のからくりは北朝から南朝のすり替えではなく、北朝の国造りのための基礎固めと解明されていました。その後も、原発は存在しない、苫米地や東出融、朝堂院大覚、リチャードコシミズが工作員であることを暴き続けていますが、いまだにさゆふらっとはRaptさんを攻撃しています。
何故なのでしょうか?さゆふらっとについては彼女が電通関係者という噂もありますから、電通といえば、ツイッターですので、ツイッター当たりに流しているのでしょう・・。
また、さゆふらっとの正体はイルミナティで金に汚いという評判もあります。
さゆふらっとは直訳すると古墳で、土師氏と繋がりがある可能性があると書かせていただきましたが、土師 平塚で調べるとこんなのが出てきました。
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1.福岡県嘉穂郡桂川町土師
土師の老松神社がある桂川町は平成の市町村合併で隣接市町、飯塚(いいづか)市とも、嘉麻(かま)市とも合併していない。嘉穂(かほ)郡に一町取り残された形になっている。合併しなかった理由は、地域柄が違う、人柄の気風が合わないとか色々あるようです。私が住む三井郡でも、浮羽郡でも同じような話を聞く。
ここ桂川町は遠賀川の上流域にあり、奥筑豊にあたり、南には古処山、屏山、馬見山を仰ぐ。この町一帯周辺には、地名に「出雲」があり、王塚古墳(物部氏の色濃い傾向)があり、大国主、事代主を祀る神社がみられ、古代の大国主王国あるいは「ヤマタイ・・・」を思わせる趣がある。
しかし、BLOG「地図を楽しむ・古代史の謎」によると、「古墳時代の集落跡がほとんど見つかっていないのです。僅かに古墳時代の遺跡が土師(はじ)地区で発掘されています。」といわれる。大国主が国譲り交渉後、関東に進出されて、空白が生まれたのであろうか。
その前の時代に、大国主、事代主が居住されていたのではないかと思わせる由緒を持った神社がある。桂川町土師の老松神社である。
2.桂川町土師の老松神社
土師の地域は広く、上土師、下土師、土師1~7と多くの行政区を持ち、老松神社は下土師に鎮座する。主祭神は大国主、追祀神・大物主、事代主、菅原神、吉祥女で、当初は大国主を祀る古宮があったと云う。
老松神社 福岡県嘉穂郡桂川町土師3161
主祭神 大国主神
祭 神 大物主神、事代主神、菅原道真神、吉祥女
境内社 菅原神社、大山祇神社、興玉神社、福部神社、貴船宮
由 緒(案内石碑)
創建年代詳かならず。社の記録に依れば遠く神代の昔、大己貴命、少彦名命と戮力一心、天下を経営給いし折り、吾西海下り蹕(ひつ)を此の土師の地に暫く駐(とど)め給いしと云う。
後、人皇11代垂仁天皇の御宇、出雲の國の造、野見宿禰埴輪を造りて、殉死の者に易ゆるの功を賞して、土師臣の姓を賜い、又諸国に於て鍛地(かじち)を賜うや、当庄をも其の一つに加え宿禰に賜う。
されば、出雲より土師連来たりて当庄を領し、出雲杵築の大社に鎮座の大国主命(大己貴命)を神代の時、暫く蹕(ひつ)を駐(とど)め給いし地に勧請して、土師宮と称し齊き祀る。これ当社の濫觴(らんしょう・初め)なりと。
その後、大物主神、事代主神を合祀せし処なるも年代詳かならずと云う。
後一条天皇、万寿元年(1024)土師庄を太宰府天満宮に寄附せられ、神領となし給うに及び土師宮の相殿に菅公、吉祥女を勧請して、御社号を老松大明神と改め、土師庄12ヶ村の総鎮守と定め給う。されば、世々武将武家の崇敬篤く、社領も多く、祭礼も賑々しく、御繁栄の神社なりしと云う。降りて、天正年間、豊臣秀吉公九州征伐の折、当神社秋月種寶に属せしに依り、神領を没収せられ、御繁栄の当神社も祭礼の多くが頽廃するに至る。その後、土師のみの氏神として幾度かの再建を経ながら四季の祭礼は継承されて今日に至る。
出雲より土師連来たりて当庄を領し、出雲杵築の大社に鎮座の大国主命(大己貴命)を神代の時、暫く蹕(ひつ)を駐(とど)め給いし地に勧請
土師連が出雲より来たりて当庄を領した。その土師の地は、往古、「大国主が暫(しばらく)く蹕(ひつ)を駐(とど)め給いし地」であるという。つまり、天皇が幸行の時、大国主が先払いし、しばらく留まった地であると云う。そこに、出雲大社の大国主を勧請したと云う。
大国主が仕えた主人は、ヒミコ、懿徳天皇、孝霊天皇である。その頃、天皇の幸行先の地ならしをしたのであろうか。その地が土師の地である。そこに、後に、大国主を祀る祠が建立されたのであろう。出雲大社の大国主を勧請する必要もない。もともと、大国主は九州北部の人であるから。
それをほのめかす由緒が福岡県神社誌に記載されている。
往古、出雲国より土師氏の人来たりて、初めて、隣村、平塚村に居住し、後、ここに移住して近村を取り込み、村名を土師といい、その地を「御所原」といっていた。
出雲国から来た土師氏は隣村、平塚村にしばらく居住している。平塚村は八大龍王・豊玉彦を祀る橘族の村である。その村に土師族は厄介になっている。もともと、土師族のご先祖は豊玉彦(橘族)であるから、もっともである。後に移り住んだのが、今の土師村であり、往古は「御所原」といっていた、と云う。
そこに宮があり、大国主を祀っている。由来記は「大国主を祀るのが不思議であるから、出雲大社の大国主を勧請したのであろう」と云っている。
もしそうであれば、土師族が移ってきた時期は、出雲大社が出来た後のこととなる。時期が合わず、移住してきた時期が遅すぎる。
その後、大物主、事代主を合祀したが、年代は詳かでないと云う。
また、その後、万寿元年(1024)大宰府天満宮領となった時、菅原神と吉祥女を境内合祀し、社号を老松神社と称した、とある。それまで、土師族は古宮の「大国主○○神社」を祭祀していたことになる。「大国主を祀っている不思議な宮があった」と云っているが、何という宮と称していたか、興味のあるところである。
また、神社案内由来記で、
垂仁天皇の御宇、出雲の國の造、野見宿禰埴輪を造りて、殉死の者に易ゆるの功を賞して、土師臣の姓を賜い、又諸国に於ける鍛地(かじち)を賜うや、当庄をも其の一つに加え宿禰に賜う。
とある。
垂仁天皇の御代、野見宿禰(土部壹佰人)が、被葬者を古墳に埋葬する時、民を殉死者として、体半分を立った状態で埋め込むが、これを取りやめ、人形の埴輪(土物)を代わりすることを提案して犠牲者を無くしている。この功により、諸国の鍛地(かじち)を賜うとある。そして、本姓を改め「土師臣」となり、土師連の祖となっている。
この鍛地が、後の天満宮領が増える下地となったのであろう。製鉄により鍛地が多いのが熊本県である。熊本県では菅原神社が多いが、この理由からきているのであろうか。
「大物主、事代主を合祀したが、年代は詳かでない」と云う。
この地域はよく、大国主、大物主、事代主の三人が揃ってよく祀られている。大物主、事代主は大国主の義理の息子である。土師の南の弥山の内山田には、事代主を祀る天(てん)神社が鎮座する。
市杵嶋姫は天忍穂耳命と離縁され、大山咋を連れ子に大国主の妃となられ、大山咋は大国主の義理の息子となられる。
事代主も同様に、豊玉姫は彦火々出見尊と離婚され、少名彦(すくなひこ)を連れ子に大国主と再婚される。そして、名前を田心姫と改められる。大国主とその義理の子・少名彦は共に筑豊一帯(豊葦原国)の国造りに尽力される。少名彦は後の事代主(ことしろぬし)である。
大山咋、事代主は共に連れ子であり、大国主の義理の息子達といえる。
ここに三人の大物主が誕生する。
一般に言われるような大国主は大物主ではなく、大物主は大山咋である。
百嶋神代系図では、この三人の関係を次のようにいっている。
大国主を「義理の大物主」、大山咋を「真の大物主」、事代主を「代理の大物主」と。
1.大国主 大己貴・八千矛神 義理の大物主 武蔵大國魂神・大神(おおが)大明神
2.大物主 大山咋・天葺根命 真の大物主 大神(おおが)大明神
3.事代主 一言主・恵比須神 代理の大物主 大神(おおみわ)大明神
3.平塚・八大龍王宮 福岡県飯塚市平塚(嘉穂郡上穂波村大字平塚字本村)
祭神 豊玉彦
福岡県神社誌には水祖神社と記載されており、現地にいってみると「八大龍王宮」であった。八大龍王宮は公的には秘密にされた神社であった。平塚村は八大龍王・豊玉彦を祀る橘族の村であると言える。
4.土師・老松神社の秋祭り
福岡県嘉穂郡桂川町土師3161 2017年(平成29年)9月23日
土師の獅子舞
約680年前(嘉暦3年1328)から受け継がれてきた獅子舞が4月と9月の大祭で奉納される。五穀豊穣と家内安全を祈願したのが始まりといわれ、雄と雌の2頭の獅子が中国大陸を出発して荒れ狂う東シナ海の荒波を越え日本に渡り、老松神社にたどり着く様子を大胆かつ優雅な舞いで表現している、という。また、上土師地区と下土師地区が1年ごとに交代で受け持つ。
土師の老松神社の獅子舞は「雄雌2頭の獅子が中国大陸を出発し、東シナ海の荒波を越え日本に渡り着く様子」を表現しているという。まるで、呉人あるいは大幡主ご一統が東シナ海を渡り、九州の熊本苓北或いは八代に着いた故事を、豊玉彦を祀る八大龍王宮が鎮座する平塚村の橘族村民から伝承したのであろうか。
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そういえば、ハッシーの画像アイコンはくまもんで熊本県のゆるキャラでした。野見宿禰は熊本とも繋がっていますから、さゆふらっととハッシーが繋がりました。
福岡県の桂川町というところにある、老松神社が祀っているのが大国主命(オオクニヌシノミコト)=ルシファーですね。
つまりさゆふらっとまうんどは福岡=筑紫国の橘族と繋がりの深い野見宿祢の一族で墓=古墳を管理している由緒正しいとされる悪魔の家柄となります。
平塚という名前が出てきましたね。平塚村には橘族の村民がいたとあります。(橘?立花孝志?となると、N国との争いも茶番もからんでいるかもしれませんね。)しかも飯塚市という地名まで出てきましたね。飯塚市は桂川町の隣。飯塚といえば、この人でした。
Rapt理論でイルミナティの超重鎮と解明された麻生太郎ですね。
平塚正幸というカスでさえない上級国民があれだけRaptさんに嫉妬して攻撃するのも、さゆふらっとまうんどは神に反逆したルシファーの血を引く土師氏の末裔だからなのでしょう。
麻生太郎=麻生グループの会員制ゴルフクラブも桂川町にあります。麻生もちゃっかりとルシファーを拝む桂川町にあやかりたいということなのでしょうか?
さゆふらっとは麻生太郎からもそれなりに目をかけられている可能性もあると。現に桂川町と麻生太郎の地元飯塚市は合併をしていません。
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市町村合併問題
市町村合併の動きに影響され、飯塚市・旧山田市および他の嘉穂郡の全町とともに「嘉飯山2市8町合併協議会」を設立し、合併へ向けた協議が行われたが、飯塚市中心となる運営を危惧した桂川町は2004年8月に離脱した。このため、この合併は不成立に終わった。
その後、他の同協議会の関係自治体は2つに分かれて再度合併協議会を設立し、飯塚市ほか4町の合併により新制「飯塚市」、旧山田市ほか3町の合併により「嘉麻市」がそれぞれ発足することが決定したが、桂川町はどちらの合併協議会にも加わっておらず、飯塚・嘉麻両市が発足した後は嘉穂郡唯一の自治体となった。
その後、合併を懇願していた町民の意思に反したとして、町長は町民からのリコール選挙により、失脚した。
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大多数の町民は合併を懇願していたのに、結局合併されませんでした。たかだか13000人の小さな町が合併されないのも不思議な話です。やはりルシファーを神として祀っている老松神社がある桂川町は悪魔崇拝者にとっては大事な町なのでしょうね。
プラス天皇家の重鎮麻生太郎からも目をかけられるさえないけど上級国民のさゆふらっとまうんど。
麻生太郎が天皇家の重鎮ということもRapt理論で解明されています。
本当に愚かですね。
補足として桂川町の町章とさゆふらっとが党首を務める国民主権党のロゴが同じ。
大本教が崇めるスの神と同じ
さらにいうと、スの神のマークが一緒ですね。
大本教
平塚正幸もルシファー=スメラミコト=天皇をルシファーとしてを拝む土師氏の末裔で大本教関係者というわけです。
また、前回の記事で上げましたが、伏見宮博明を崇める神GODと友人の竹本了というUFO研究家と平塚正幸は繋がっています。
UFO研究家の竹本了は東出融と繋がっています。みんなズブズブですね。
つまりさゆふらっとまうんどは野見宿禰の墓=古墳を守った一族の末裔で悪魔ルシファーを拝んでいます。
また、さゆふらっとは自分のマイナンバーを公表したり、飲尿療法を公約に掲げたりしています。つまり、陰謀を広める人はトンデモだと印象付ける工作員だということです。
彼らが真に滅びますように願っています。