【誰も知らない?】ウクライナ21というスナッフビデオ

ウクライナ21

ウクライナ21という殺人スナッフビデオの事件があったのですが、Xで「ウクライナ21」と検索しても出てきません。

意図的に隠蔽している気がしなくもありませんが・・・。

かの「MKほんものだよ」こと「@Mari21Sofi」というアカウントが「スナッフビデオ」について触れているポストはありませんでした。

「ウクライナ スナッフビデオ」でようやく出てくるようです。

@Mari21Sofi (MKほんものだよ)というアカウントは、ナザレンコ工作員を批判していましたが、なぜか「ウクライナ21」のスナッフビデオについては一言も触れていませんでした。別のアカウントがナザレンコが「ウクライナ21」に関与していた可能性に触れていたのは何故でしょうか?

「MKほんものだよ」と「ナザレンコ」は「真実に触れない」協定ても組んでいるのでしょうか?

「ウクライナ21」とは一体なんでしょうか?

ウクライナ21(ウクライナにじゅういち)とは、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現ウクライナ)のドネプロペトロフスク州(現ドニプロペトロウシク州)に住む若者らが男性を拷問の末に殺害する顛末を録画したホームビデオの通称である。通称の「21」は、この若者らによって殺害された被害者の人数が21人であるのが由来とされる[1]。このビデオは、犯人たちが殺害映像を販売する予定であったとの証言もあることから、「有史初のスナッフ・フィルムである[2]」とされる。

この殺人事件の犯人たちは「ドネプロペトロフスクの狂人たち」(英語: Dnepropetrovsk maniacs、ウクライナ語: Дніпропетровські маніяки, ロシア語: Днепропетровские маньяки)と呼ばれている。主犯である当時19歳のヴィクトル・イーホロヴィチ・サイェンコ(Víktor Íhorovych Sayénko、ウクライナ語: Віктор Ігорович Саєнко、ロシア語: Виктор Игоревич Саенко、1988年3月1日生まれ)とイーホル・ヴォロディームィロヴィチ・スプルニューク(Íhor Volodýmyrovych Suprunyúk、ウクライナ語: Ігор Володимирович Супрунюк、ロシア語: Игорь Владимирович Супрунюк、1988年4月20日生まれ)は逮捕され、21件の殺人罪で起訴された[3][4]。共謀者であるオレクサンドル・オレクサンドロヴィチ・ハンジャー(Oleksándr Oleksándrovych Hanzhá、ウクライナ語: Олександр Олександрович Ганжа、ロシア語: Александр Александрович Ганжа、1988年2月16日生まれ)は武装強盗で起訴された[5][6]。2009年2月11日、3人の被告全員が有罪判決を受け、サイェンコとスプルニュークには終身刑、ハンジャーには懲役9年が言い渡された[4]。サイェンコとスプルニュークの弁護士は控訴したが、2009年11月にウクライナ最高裁判所で棄却された[7][8][9]。

概要
ソビエト連邦時代のウクライナのドニプロペトロウシク州に住む当時19歳の若者2人が、2007年6月から7月にかけてのわずか1ヶ月程度の間に快楽目的で21人を殺害し、所持していた携帯電話や金品を強奪して質屋で換金した。この常軌を逸した連続強盗殺人事件は外国メディア報道により国際的に「ドネプロペトロフスクの狂人たち(ドネプロペトロフスク・メイニアックス)」と呼ばれている。なお当時のウクライナはソビエト連邦の加盟国だったため、この名称はウクライナ語ではなくロシア語に準拠している。

犯人らは殺人行為をビデオに録画していたが、2008年末頃に容疑者のパソコンの中にあった幾つかの殺人映像が収められたビデオが流出した。そのうち完全な状態で流出したものが「ウクライナ21」である。流出の時点で犯人らは逮捕・拘禁されており[1]、流出の原因は本人達の手によるものではないと考えられている。

犯行
この3人は事件の5年前からいじめっ子に対する恐怖を克服するために、主に誕生日の同じアドルフ・ヒトラーに傾倒していた(ハーケンクロイツを描いたり、ヒトラー風のちょび髭を伸ばしていたこともある)スプルニュークの発案で様々な度胸試しを行っていた。最初はアパートの15階のバルコニーに何時間も立ち続けたり手摺からぶら下がったりする程度だったが、やがて野良犬や野良猫を捕まえてきて暴行を加えた後、近所の樹木の多い場所で木に張り付けて臓器を摘出し写真に撮るようになった。

事件の2年前、スプルニュークがとある少年を殴り倒して奪った自転車をサイェンコに売ったことで2人とも補導された。高校卒業後、サイェンコは製鋼所の警備員となり、ハンジャーはケーキ屋や建設作業などバイトを転々とした。スプルニュークは無職だったが、誕生日に両親から送られた緑色のコンパクトセダンを乗り回していた。そしてこのセダンに行灯を付けて普通のタクシーを装い、他2人と協力して騙された乗客を襲い金品を強奪するようになった。

そうした事もあってか、この事件の被害者はいずれも老人やホームレスや女性や子供などのように、彼らが自分より弱者だと判断した人たちであった。犯行内容は、セダンに乗せた客を適当な所で下ろした後、すれ違いざまに鈍器で頭部を殴打し、アイスピックを目玉や内臓に突き刺し、生きたまま体をいたぶるようにじっくりと損壊するという極めて悪質かつ残忍なものであった。

しかし彼らの強奪した被害者の携帯電話を引き受けた質屋の店主が動作確認のために電源を入れたことで、位置情報記録から質屋が割り出されて捜査が進み、2007年7月23日になって3人の若者が逮捕された。

裁判
2008年末になって、快楽殺人を映した動画が動画共有サイト等に流出したことにより、この事件の残虐性を再び世界中に知らしめることとなった。被疑者3人は早々に犯行を認めたものの、主犯格のひとりスプルニュークが再び供述を覆して犯行を否認したため、被疑者らの両親たちによる手厚い弁護もあり裁判は2年間の長期に渡った。

一審は2009年2月11日に終結し、ドニプロペトロウシクの地方裁判所は、主犯格の2人(実行犯のスプルニュークと撮影係のサイェンコ)にはそれぞれ21人と18人の殺人及び、15件の強盗と多数の動物虐待に直接関与したとして終身刑を言い渡し[10] 、残る1人ハンジャーは血液恐怖症等を患っていたため殺人や動物虐待には関与しなかったものの(動物に至っては「火傷させてしまうかも知れない」と飼い猫を風呂に入れるのも嫌がるほど)、強盗罪が適用され懲役9年の判決が下った[11][12]。

終身刑を宣告された2人は、その後ウクライナ最高裁判所に量刑を不服として上告したものの、ウクライナ最高裁は判決のドニプロペトロウシク地裁への差戻しを行い、同地裁が一審の量刑を変更しなかった事から、同年11月24日に量刑が確定し、同事件の全ての裁判は終結した[13]。

ドニプロペトロウシクの判事は少年達の事件の動機について「病的なまでの自己肯定心の発露」であると評し[8]、当時の世論調査ではドニプロペトロウシク市民の50.3%が量刑が公正である、48.6%は量刑がより重いはずであっただろうと回答した[14]。

ウクライナは2000年2月に死刑制度が廃止されている国であるが、2011年4月の世論調査ではウクライナ国民の60%が本事件のような極めて凶悪な連続殺人に対しては死刑を適用すべきであると回答したという[15]。

2019年4月、共犯者のハンジャーが満期出所。結婚して2人の子供がいることが報道されている[16]。

引用元:ウクライナ21 Wikipedia

Wikipediaに掲載されるくらいの残酷事件だったそうで、なぜか共犯者の「ハンジャー」という男は、結婚して2人の子供がいると報道されているとのこと。

はっきりいってその情報いらなくね?

日本でも、凶悪犯のWikipediaに免罪符や予防線を張るのが目的で「加害者にも人権がある」とでも言いたいかのように「結婚した」「子供がいる」などの記載がありました。

スナッフビデオとは何ぞやとお思いのかたに、こちらのWikiも記載しておきます。

スナッフフィルム(Snuff film)は娯楽用途に流通させる目的で行われた実際の殺人の様子を撮影した映像作品を指す俗語[1]。スナッフビデオ、スナッフムービー、殺人フィルム、殺人ビデオ[2]ともいう。

来歴
スナッフとは蝋燭を吹き消す擬音語であり、転じてイギリスでは「殺す」のスラングとなっていた[1]。

スナッフフィルムという言葉が初めて使われたのは、1971年に出版されたエド・サンダーソンが書いたマンソンファミリーを扱った書籍『ファミリー: シャロン・テート殺人事件』である。匿名で取材に応じた元関係者によって、殺人を記録したスナッフフィルムの存在が史上初めて明らかにされ、社会の関心を読び起こした。本の中でサンダーソンは「マンソンファミリーが殺人の様子を撮影したビデオが存在する」旨でインタビューを行っているが、そのインタビュー対象者は実際にはスナッフフィルムを見てはいない[1]。

これをきっかけに、スナッフフィルムは「裏世界では娯楽のために人が殺され、その模様を収めたフィルムがひそかに売買されているらしい」などといった噂とともに知られるようになり、様々な作品の題材に取り上げられている。特に1975年のモンド映画『スナッフ/SNUFF』は実際のスナッフフィルムとの触れ込みで公開されたことで有名である[1]。

殺人をテーマにしたモンド映画・映像の歴史は『キリング・フォー・カルチャー 殺しの映像』(フィルム・アート社・1998年)に詳しい。テレビや監視カメラが捕らえた殺人現場の映像についても、7章の「Death in the Media」にて数々の記録が載っている。

2008年末、「ウクライナ21」と呼ばれる、ウクライナの若者達が男性を拷問の末殺害するホームビデオがインターネット上で出回り、誰でも閲覧が可能となった。これらのビデオでは快楽目的の殺人行為が記録されている。報道では、ドニプロペトロウシクに住む19歳の若者2人が、2007年夏の1ヶ月程度の間に21人を殺害したとされている[3]。男性を殺害する動画の他、死んだネコのとなりでにっこり笑うスナッフもあった。 この「ウクライナ21」は「犯人たちがその後、殺害映像を販売する予定であったとの証言もある」ことから、「有史初のスナッフ・フィルムである[4]」とされる。

記録された殺人
アドルフ・ヒトラーは、自身の暗殺計画を企てた軍事関係者らの絞首刑を撮影させている(7月20日事件#粛清)。絞首には縄ではなく、苦痛が長時間続くピアノ線を用いた。撮影理由は個人的な愉しみのためだというが[5]、鑑賞を拒否したと証言する元側近もおり、終戦までにフィルムの破棄を命じたという。

ドイツの殺人犯アルミン・マイヴェス[6]のように、さまざまな殺人者は殺人の様子をビデオに収めているが、「娯楽用途に流通させる目的」には当てはまらないため厳密な意味でのスナッフフィルムに当たらない。

また、ISISなどの過激派組織は、敵対する国家、組織の人物を誘拐し殺害する様子をビデオで撮影しているが、これも上述する通り「娯楽用途に流通させる目的」には当てはまらないため厳密な意味でのスナッフフィルムではない。

興業目的で動物を殺害する映像を収めた「アニマル・スナッフ」は少なからず実在している。世界最初のアニマル・スナッフは、宣伝映画を作るために撮影させた、象(トプシー)を一瞬で感電死させる映像とされている。

引用元:スナッフフィルム Wikipedia

旭川市の女子中学生の殺人事件も「スナッフビデオ」と言われています。

また、件の事件には「創価学会」も関与していると言われていますし、「大阪万博」の会場をプロデュースした「藤本壮介」も事件に関与していると言われています。

藤本壮介

藤本 壮介(ふじもと そうすけ、1971年(昭和46年) – )は、日本の建築家。藤本壮介建築設計事務所主宰。東京大学特任准教授。日本建築大賞、JIA新人賞など多数受賞。

来歴・人物
北海道上川郡東神楽町に生まれる[1]。子ども時代、実家にあったアントニ・ガウディの写真集を見て衝撃を受ける。

大学卒業後は一人で設計活動を行っていたが、2000年2月、青森県立美術館設計競技2位(優秀賞)受賞により建築家として認められた。

2007年2月、「情緒障害児短期治療施設」(2006年竣工。北海道伊達市)で2007年度日本建築大賞を受賞[2]。

2021年、主導的に設計を手がけた前橋市の白井屋ホテルが「National Geographic Traveller Hotel Awards 2021」に入選した[3]。

引用元:藤本壮介 Wikipedia

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被害者である「廣瀬爽彩」さんを全裸で個室に閉じ込め、外部から「マジックミラー」越しで見られるようにしたのが旭川市の隣の「東神楽町」にある「聖台病院」でした。「聖台病院」は「大阪万博」を設計した「藤本壮介」の実家とのこと。

「大阪万博」には「大阪維新の会」が関与していますが、「前大阪市長」の「松井一郎」が自らのレイプ疑惑と、廣瀬さんのスナッフビデオ強姦事件について一切触れないのはこういうことかもしれません。

このことについて触れているのは本当に僅かで、ナチスから影響を受けた「アゾフ」と関係の深い「ウクライナ」工作員の「ナザレンコ・アンドリー」はもちろんのこと、「ウクライナ」を批判する大型アカウントの「MK ほんものだよ」が触れないのは不思議ですね。

この件が拡散され、悪人が真に裁かれ滅ぶことを心から祈ります。

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