朝日新聞は島津家のメディアでした。(戦争を煽り、人権を論ずる偽善メディア)

朝日新聞

コロナ騒ぎで先陣を切ってデマを流し続ける朝日新聞ですが、極悪な偽善メディアであることが露になってきました。

つい先日も、コロナはただの風邪なのに、コロナで死者が多発していると捏造し、コロナを危険だと煽り、医療関係者が不足しているという嘘を垂れ流し、マスクを強制着用するように仕向けています。

また、Twitterでは朝日新聞が戦前に第二次大戦を煽る記事を乱発していたことが数多くのユーザによって暴かれています。

このように第二次大戦を煽っておきながら、戦後はシラを切って戦争被害や人権問題や誹謗中傷を取り上げています。

朝日新聞はRapt理論でも暴かれた通り、韓国とズブズブの反日企業であり、

数多くの不祥事を起こした維新の会松井一郎も朝日の『誹謗中傷』と『ファクトチェック』を盾に、言論弾圧をしています。

『維新の会』の不正リコールを上げながらも、巧みに『維新の会』の『吉村洋文』『松井一郎』の核心に触れないように記事を上げています。

大村知事リコール不正署名の犯人は維新の会だった!!

また、朝日新聞の経営権を譲り受けた『村山龍平』の一族は、三菱グループの創業者『岩崎弥太郎』の一族と血縁があります。彼らを辿ると、『島津久光』。つまり、『島津家』です。

沿革
朝日新聞に関する沿革は朝日新聞#沿革を参照
1879年(明治12年)1月8日 – 木村平八・木村騰の親子によって大阪・江戸堀(現在の大阪市西区の一部)に於いて朝日新聞社創立。同年1月25日に朝日新聞が創刊する。「朝日」の由来は、「旭日昇天 万象惟明」を基に、編集主幹だった津田貞の提案「毎朝、早く配達され、何よりも早く人が手にするもの」から。
1881年(明治14年)1月 – 村山龍平が木村親子より朝日新聞社の経営権を譲り受け、上野理一と共に経営に着手。
1882年(明治15年) – 政府と三井銀行から極秘裡に経営資金援助を受け始め、経営基盤を固める。

引用元:朝日新聞 Wikipedia
村山龍平(朝日新聞創業者)
朝日新聞創業者『村山龍平』と三菱グループ『岩崎弥太郎』は親戚同士

岩崎弥太郎ら『三菱グループ』は戦争でぼろ儲けをしました。つまり、朝日新聞は戦争を扇動する工作メディアだったということです。

天皇とともに日本国民を地獄のどん底に突き落としてきた「三菱グループ」の正体

で、この岩崎弥太郎が最初に大儲けするきっかけになったのが、明治政府が樹立し、全国統一貨幣制度に乗り出したときのことです。
 
岩崎弥太郎は、各藩が発行していた「藩札」を新政府が買い上げようとしていることを知り、十万両をあちこちから調達して、「藩札」を大量に買い占めました。そして、その「藩札」を政府に買い取らせてボロ儲けしたのです。
 
この辺もまたロスチャイルドの手口と似ています。国家を利用してボロ儲けしつつ、自分の地位を築いたというわけですから。
 
で、この岩崎弥太郎。その後の「西南戦争」では武器商人としてボロ儲け。
 
しかも、この「死の商人」としての体質はその後の「三菱財閥」にも引き継がれ、「三菱財閥」は第一次大戦、第二次大戦でも同じく「死の商人」としてボロ儲けしました。
 
つまり、多くの人々の命を犠牲にした上で、今日の「三菱グループ」が成り立っているというわけです。

引用元:天皇とともに日本国民を地獄のどん底に突き落としてきた「三菱グループ」の正体。

『島津家』はガン利権や反原発利権や存在もしない宇宙利権で一般庶民を扇動し、ぼろ儲けをする悪人一族でしたね。

RAPT×読者対談〈第39弾〉日本を支配しているのは島津家と毛利家である。

【上級国民】元宇宙飛行士・毛利衛が日本科学未来館館長を退任

つまり、朝日新聞は島津家が設立した国民を騙すための工作機関だったと言うわけです。こういうメディアが真に無くなってほしいですね。

また、島津家はJAL123便事件の主犯である、青山家・九鬼家・李家とも密接な関係があります。

また、Wikipediaにもある通り、三井銀行から経営資金を極秘に受けていますから、三井家とも関わりが深いです。

つまり、『朝日新聞』は三井=三田家とも密接な関係があります。

朝日新聞などの捏造メディアが真に滅びることを心から願います。

RAPT理論+α

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