日本のイルミナティ その2(河野太郎を取り巻く水軍&鉄砲衆は豊臣秀吉に繋がる)

巷では、自民党総裁選は高市早苗が優勢で、河野太郎は劣勢。あるいは河野太郎が優勢で、高市早苗は劣勢と情報が錯綜していましたが、岸田文雄に決定しました。

岸田文雄になろうが誰がなろうが、彼等は悪人ですから、我々のための政治をしないことは火を見るよりも明らかです。

河野太郎に至っては、多数の死亡者が出ているワクチン接種をごり押しし、乳児にまで接種させようとしています。

【ついに乳児たちも人口削減のターゲットに】河野太郎、生後6ヶ月以上の乳児にもコロナワクチンを接種させる計画を打ち出す

さらに河野太郎は「こびナビ」を下僕として使いこなし、言論操作&言論弾圧をしています。

今日は河野太郎についてもう少し踏み込んで話をしていきたいと思います。ネットで出回っている情報を書いてもしょうがないので、そのことについては割愛いたします(笑)。Rapt理論+αで解明されておりますので、そちらをお読みいただくか、Twitterなどをお探しください。

Rapt理論+α

河野太郎ですが、こういう情報がありました。私も以前に記事として書かせて頂きました通り、河野太郎は伊予河野家(河野水軍)は水軍の末裔の可能性があると。

日本のイルミナティ その1(水軍の末裔)

が、あくまでも推測でした。Twitterなどのネット上では、河野太郎が伊予河野水軍の血筋ではないかという噂がありましたので、調べてみました。すると、伊予河野家が本拠とした湯築城の資料館で、伊藤博文と河野太郎も河野氏の子孫であるとのツイートを発見しました。また、太郎の父である河野洋平が「祖先は伊予だと」語っているというツイートもありました。なので、河野太郎は伊予河野家すなわち河野水軍の末裔であることはほぼ間違いなさそうです。

私も河野太郎が伊予河野家の末裔である説は本当ではないかと思っております。現に河野太郎は海上自衛隊について結構な頻度で言及し、海上自衛隊大湊地区も訪れています。

海上自衛隊といえば、船。船といえば水軍です。

https://twitter.com/eSpHpmjgIyhIrDY/status/1284617202344194048

河野太郎の親族に河野顕子(こうのあきこ)という人がいますが、この人の父親は岡本伝之助という人です。

河野顕子 Wikipedia

岡本伝之助

で、この岡本伝之助ですが、「さいか屋」という神奈川ローカルのデパートを創業した、岡本傅兵衛の息子です。

さいか屋横須賀店

さいか屋 Wikipedia

岡本伝之助 Wikipedia

この岡本傅兵衛は雑賀衆の末裔とされています。

雑賀衆(読みは「さいが」ではなく「さいか」)の末裔とされる岡本傅兵衛が幕末の1867年(慶応3年)6月に西浦賀(現在の神奈川県横須賀市)の高砂屋呉服店の丁稚奉公から独立して、25両の貯蓄を元手に呉服店を開いたのが始まりである[10]。

引用元:さいか屋 Wikipedia

この雑賀衆ですが、戦国時代に存在した鉄砲傭兵・地侍の集団でした。また、「信長の野望」ファンであればご存じの通り、鉄砲使いで、紀伊国周辺にいましたよね(笑)。

雑賀衆(さいかしゅう)は、中世の日本に存在した鉄砲傭兵・地侍集団の一つである。また、史料に見られる「惣国」と同じと考えられているため、「紀州惣国」もしくは「雑賀惣国」とも呼ばれている。雑賀衆は紀伊国北西部(現在の和歌山市及び海南市の一部)の「雑賀荘」「十ヶ郷」「中郷(中川郷)」「南郷(三上郷)」「宮郷(社家郷)」の五つの地域(五組・五搦などという)の地侍達で構成されていた。高い軍事力を持った傭兵集団としても活躍し、鉄砲伝来以降は、数千挺もの鉄砲で武装した。また海運や貿易も営んでいた。「さいが」と読むのは誤読である。

引用元:雑賀衆 Wikipedia

この雑賀衆(さいかしゅう)を率いたのが、雑賀孫一こと鈴木孫一という人物であり、海運や貿易に携わり、水軍を擁していたと言われています。

雑賀衆 Wikipedia

Wikipediaより、雑賀孫一は石山本願寺と手を組み当時日の出の勢いを持つ織田信長と戦いますが、服属と戦いを繰り返し、結局信長には服従しませんでした。最終的には豊臣秀吉に討伐され、雑賀衆はなし崩し的に終焉したとあります。

で、その雑賀衆は浄土真宗と繋がっていますが、真言宗とも繋がっていたと言われています。

真言宗といえば、高野山ですね。

その高野山に、河野通直(こうのみちなお)という戦国武将の墓があるのことです。

河野通直の墓は高野山奥之院にあります。
右地図は奥之院の弘法大師御廟をマークしてありますが、墓は一の橋から弘法大師御廟へと続く参道にあります。
高野山周辺には数か所の無料駐車場があります。

現在とは異なり、武将の墓は一つとは限りません。
ゆかりの地であったり、死亡した場所であったり、子孫が治めた地であったり、日本全国に墓が数箇所存在する武将も少なくありません。

高野山にも、理由は様々なようですが数多くの武将や藩主の墓があります。
一度にたくさんの武将の墓を見るならば、高野山がお薦めですよ。

河野水軍最後の大将・河野通直
河野通直(こうのみちなお)は、湯築城を居とし伊予を治めた戦国大名です。
強大な水軍を持っていましたが、一族の内紛や長宗我部元親の台頭もあり四国に覇を唱えることは出来ませんでした。
豊臣秀吉の四国征伐では反抗するものの、約一月で降伏します。
戦後領地は没収され河野家は滅びました。

引用元:高野山武将の墓 | 河野通直の墓 – 河野水軍最後の大将!! 武将と城の旅

河野太郎=さいか屋=雑賀衆=高野山=河野通直と繋がりましたね。

で、岡本といえば、この人がいました。最近ゴムニダと騒いでいるイチベイ(イチベエ)という人です。この人はインチキ陰謀論者ジョウスターとつるみ朝堂院大覚と対談しています。

このジョウスターも創価でしたし、朝堂院大覚も池田大作に資金を提供した位創価とズブズブでした。じゃあなんでいきなり岡本繋がりでこんなのを出すんだと。

確かに、河野太郎はワクチンごり押し派で、こびナビを使って言論弾圧をしています。一方のジョウスターとイチベエはワクチンを反対し、ディープステートがなんだ、Qがなんだと陰謀論を展開しております。

彼等は朝堂院大覚で繋がります。現に朝堂院大覚は自らの動画で、林義正・河野太郎・世耕弘成が束になれば二階を倒せるということを発言しています。

自民党には人がいないながらも、彼等のこと、河野太郎などを買っており、期待をかけている様子がわかります。

また、朝堂院大覚の息子(隠し子)疑惑のあるれいわ新選組の山本太郎は河野太郎と共闘していた時期がありました。

朝堂院大覚、山本太郎も李家でした。また、河野太郎も李家だと暴かれています。

河野太郎はやはり中国人=李家!! 従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」を容認し日本を貶め、靖国神社参拝反対で批判殺到

河野太郎は、今は、山本太郎と共闘していないようですが、反原発といい、女系天皇容認といい、れいわ新選組と繋がっている可能性は非常に高いと思われます。朝堂院大覚が河野太郎を買っていた以上、岡本イチベエと河野太郎は何らかの形で繋がっている可能性はあると思います。

河野太郎の親戚である河野顕子に話を戻すと彼女は藤沢市議会議長時代にモーガン邸の保存の要望書を日本建築学会から受理したが、再建には至っていません。

神奈川県横須賀市発祥の百貨店さいか屋会長で、衆議院議員、横須賀市長を歴任した岡本傳之助の娘[1]。

藤沢市議会において環境・災害対策特別委員会委員長、文教常任委員会委員、防災会議委員などを歴任し[2]、湘南なぎさシティ計画の中止、奥田公園マンション転用計画の中止、藤沢独自の平和学習ノートの作成中止、教育委員会定例会の傍聴・.議事録の作成公開、自身の居住地である鵠沼の緑化、特別養護老人ホーム鵠生園の鵠沼から片瀬への移転、モーガン邸の保存、旧後藤医院の保存活用等を推進したとされる[3]。第37代藤沢市議会議長を務めた[4]。

なお、モーガン邸については藤沢市議会議長時代に日本建築学会から再建要望書を受理したが、再建には至っていない[5]。

引用元:河野顕子 Wikipedia

このモーガンという人は、旧丸ビルを設計しました。丸ビルといえば、三菱商事。三菱商事は創価企業でしたね。

旧丸ビル

J・H・モーガン(Jay Hill Morgan、1873年12月10日 – 1937年6月6日)は、アメリカ・ニューヨーク州バッファロー出身の建築家。1920年(大正9年)に来日し、三菱合資会社地所部が計画する丸ノ内ビルディングや郵船ビルディングなど、日本の建設業近代化の礎となる大規模ビルディングの建設に設計技師長として参画。米国の先進的な施工技術を日本へ伝える大きな役割を果たした。1922年(大正11年)には設計事務所を開設し、1937年(昭和12年)に亡くなるまで、ベーリック・ホールなどの邸宅や学校・教会などのミッション建築を主体に、銀行や病院など多くの作品を設計した[1]。

引用元:J・H・モーガン Wikipedia

河野家の家系図について載せておきます。

また、画像の家系図にある通り、河野太郎は伊藤忠商事の創業者伊藤忠兵衛とも親戚で、河野太郎は伊藤忠商事にも勤務していた時期があり、悪名高い、「アベノマスク」も伊藤忠商事が関わっていると言われています。

伊藤忠商事といえば、「ファミリーマート」などにみられる創価企業です。

伊藤忠商事の社外取締役を務める村木厚子が関係する「若草プロジェクト」のロゴが創価が使用している八葉蓮華ですし、瀬戸内寂聴とも繋がっています。

伊藤忠商事の5代目伊藤公平は慶應大学(創価)の塾長に就任したとの事。

で、水軍に話を戻すと、忽那氏という一族があります。忽那といえば、忽那賢志と前回の水軍記事で書かせて頂きましたが、この忽那氏も河野氏宗家に味方したとあります。

忽那賢志

この忽那賢志も時と場合によって、「マスクは有害だ」「マスクは効果がある」と発言をコロコロ変えていますが、忽那氏も河野家に味方したり、そうでもない時期があったとのこと。

ですが、ワクチン相である河野太郎が忽那賢志を重用するのは決して無関係ではないはずです。

また、河野水軍は村上氏を臣従させていた時期があるそうです。

前述の忽那氏も伊予水軍として活躍していたと言われています。

(3)伊予水軍の活躍

 ア 伊予水軍の姿

   「来島の瀬戸の渦潮とどろとどろ高鳴る聞けば雄心(おごころ)の湧く」(吉井 勇)

 伊予水軍は、鎌倉時代から南北朝・室町時代にかけて、瀬戸内海一円を舞台に制海権を掌握し、国内外にわたり活躍した。伊予水軍と総称された水軍の実態は、河野氏に臣従した村上氏を中心に、忽那氏・今岡氏・得居氏などであり、海上における組織的な戦闘力・行動力・情報収集力によって中世の瀬戸内海を制圧しリードした。
 水軍の基本的な性格は、瀬戸内海の島々や沿岸の半農半漁の海人たちを母胎とした海上武士団・海上交易商人団・海上交通支配団ともいうべき機動的武装集団であり、海に生きる海人の本領を遺憾なく発揮して活動した。
 水軍は海賊衆・警固(けいご)衆と呼ばれ、いずれも島々や沿岸の要害の地に堅固な水軍城(海城)を築き、水軍独特の情報ネットワークを駆使して急潮渦巻く各瀬戸ににらみをきかせた。彼らは、瀬戸内海の要地を航行する船舶から帆別銭(ほべつせん)(船の帆の広さによる。)、荷駄別役銭(にだべつやくせん)(荷駄別銭ともいう。積荷の多少による。)、櫓別銭(ろべつせん)(櫓の数による。)など通行税にあたる関銭(せきせん)を徴収し、水先案内や警備保障費にあたる警固料を取得して、それぞれの水軍の領地支配と経済基盤を強固なものにした。

引用元:瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度) データベース『えひめの記憶』愛媛県生涯学習センター

忽那氏の惣領となった通則は、将軍足利義満から河野家十八将の一人に補せられたというが、それを裏付ける史料があるわけではない。通則のあとは弟の通経が家督を継ぎ、河野通久から所領安堵を受けた。通経には男子がなかったため、河野氏から通定を養子に迎え、本山・泰山など五城を統轄し、文安元年(1444)、山崎・小湊など伊予郡内に知行地を与えられた。さらに、忽那島の検断職に任じられるなど河野氏家中における地歩を固めていった。
 通定のあとを継いだ通賢は、河野通秋に仕えて所領を安堵されるなど着実に勢力を拡大していった。つぎの通光の時代になると、嘉吉の変が起こり、世の中は下剋上が横行する戦国時代となっていった。河野氏では教通と一族の通春との間に内訌が起こり、通春が安芸武田氏の支援を得て伊予に侵攻してきた。このとき、忽那通光は河野氏宗家に味方して、武田氏らの軍勢を撃退する功をあげ、出作・鹿子の地を与えられた。

引用元:瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度) データベース『えひめの記憶』愛媛県生涯学習センター

となると、

河野太郎=こびナビ=忽那賢志=忽那氏=河野氏ということになります。

また、前回の記事で上げさせて頂いた、画像診断医k 屋代香絵(平塚市民病院、大船中央病院勤務)の苗字が屋代でしたが、この屋代氏も信濃村上氏の家臣でした。屋代香絵の先祖かどうかは不明ですが、河野太郎は平塚で、屋代も平塚の病院勤務ですから何らかの関係があるのではと疑いざるを得ません。

屋代香絵

屋代氏(やしろし)は、河内源氏(清和源氏)の村上氏の支流で、信濃国埴科郡屋代郷(現長野県千曲市)を本拠地とした一族。

引用元:屋代氏 Wikipedia

こびナビといえば、手を洗う医師こと木下喬弘(切通喬弘)ですが、木下氏といえば、豊臣秀吉が織田信長と出会ったときに名乗っていた名前が木下藤吉郎でした。

はじめ木下藤吉郎(きのした とうきちろう)と名乗り[注釈 9]、今川氏の直臣飯尾氏の配下で、遠江国長上郡頭陀寺荘(現在の浜松市南区頭陀寺町)にあった引馬城支城の頭陀寺城主・松下之綱(加兵衛)に仕え、今川家の陪々臣(今川氏から見れば家臣の家臣の家臣)となった。藤吉郎はある程度目をかけられたようだが、まもなく退転した[注釈 10]。

引用元:豊臣秀吉 Wikipedia

また、木下藤吉郎=豊臣秀吉の父とされる、木下弥右衛門は下層農民、木地師、サンカ、傀儡子の出身説がありますが、浅井氏の末裔と言う説が濃厚なようです。

豊臣秀吉系統の木下氏
「羽柴氏」および「豊臣氏」も参照
この木下氏の系譜の発祥は諸説があり、浅井氏の分家と称する説があるものの、明確になっていない[4]。一説に、近江国浅井郡丁野村の住人・昌盛法師が還俗して木下弥助国吉と名乗り尾張国に移住したことに始まるという。昌盛は近江浅井氏の庶流・浅井忠政の弟であり、北近江の高島氏出身の木下越中守高泰の娘を娶って木下氏を称し、その子が秀吉の祖父・木下右衛門尉吉高、そして秀吉の父・木下弥右衛門昌吉と続き、尾張国愛知郡中々村(なかなかむら)の土豪として定着したという[5]。

弥右衛門の子、藤吉郎秀吉(豊臣秀吉)は、尾張大名織田信長に仕え活躍し、北近江長浜城主となった際に、苗字を「木下」から「羽柴」へと変更し、秀吉に仕えていた弟の秀長も追随した。

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣にて豊臣家(羽柴家)が滅亡すると、その社稷が断絶することを憂慮した高台院(秀吉の正室)は従孫(甥の木下利房の次男)の利次を養子としたが、高台院の死後、利次は幕府より羽柴氏を名乗ることが禁じられたため[要出典]、名字を木下氏に改め、高台院の遺領のうち近江国野洲郡・粟田郡の3,000石の相続を許され、子孫は旗本として続いた(近江木下家)。

引用元:木下氏 Wikipedia

で浅井氏を辿ると、浅井氏は京極氏の一派で、歌源治の流れをくむ、近江源氏の佐々木氏の別家とされています。

浅井氏は近江守護京極氏の譜代家臣で、小谷城を中心とした領域支配を行っている。京極氏は戦国期に北近江三郡を支配する戦国大名として台頭するが、浅井亮政のころ京極家中では御家騒動が発生し、北近江では有力豪族の浅見氏を盟主とした国人衆による京極家の家政体制が布かれた。

引用元:浅井氏 Wikipedia

京極氏(きょうごくし)は、日本の武家の一つ。本姓は源氏。宇多源氏の流れを汲む近江源氏、佐々木氏の別家である。

引用元:京極氏 Wikipedia

で、京極氏の家紋が「平四ツ目結」、■が四つです。これが、マイクロソフトのロゴ、三井の紋とそっくりです。

河野家を辿ると越智氏、物部氏に繋がり、物部氏に繋がります。物部氏の後裔は浅井氏です。浅井氏の後裔は木下氏で、豊臣秀吉に繋がりますね。越智氏は清和源氏とも繋がていると言われています。

河野氏(かわのし、こうのし)は、伊予国(愛媛県)の有力豪族で、越智氏の流れをくむとされる。第22代当主河野通清以降は「通」を通字とする。

引用元:河野氏 Wikipedia

河野氏の記した『予章記』などで語られることの多い越智氏だが、孝霊天皇の第三皇子伊予皇子の第三王子を祖とするなどの粉飾が加えられていたりと信憑性に乏しく、越智氏自体の歴史は分からないことが多い。一般に越智氏系譜は河野氏系譜と混同視されており、疑問を投げかける声は少なくない。

今治市大三島町の大山祇神社によれば河野氏を分家した後も代々ここの神職(大祝職)を担い、鎌倉時代には家名を大祝氏と名を変え現在これを担う三島家へと姿を変えたとされている。また、越智の姓は現在でも今治市で最も多い姓として現代に残されている。なお、カバネの制度が残っていた明治初期の公文書では、伊藤博文が「越智宿禰博文」と姓(カバネ)と諱(いみな)を記載している。

引用元:越智氏 Wikipedia

物部氏 Wikipedia

だから、豊臣秀吉が、浅井長政(後に柴田勝家)とお市との子である茶々を側室として入れたのはただのスキものだったからというわけではなかったようです。つまり、茶々は元々は物部氏=浅井氏=木下氏の一族なので、秀吉は同族結婚(近親婚)をしたかったということになります。4

ただ、豊臣秀吉は小児性愛の傾向もあったと言われていますが。

長くなりましたが、木下氏も河野家と繋がっておりますので、手を洗う医師Takaこと木下喬弘が河野太郎と繋がっていてもなんらおかしくはありません。

木下といえば、以下の著名人もいます。

木下富美子(東京都議会議員 都民ファースト)

木下直哉(木下グループ代表 鈍牛倶楽部社長)

木下富美子は事故を起こして書類送検されたものの、議員の座に居座っておりますし、議会には出席しておらず逃げ回っているそうです。そういえば、手を洗う医師Takaも先日アメリカへ逃亡しましたが。

芸能プロダクションの社長から木下工務店を傘下に収めた木下直哉も河野太郎と親戚同士の可能性も考えられます。

また、木下直哉の経営する木下グループも創価とズブズブという情報もあります。

また、中日ドラゴンズのW木下の片方、木下雄介選手はコロナワクチンを接種したせいで、死亡しました。木下喬弘、木下富美子、木下直哉らの生贄の可能性も考えられます。

また、越智といえば、自民党にこんな議員もいました。

越智隆雄です。

この越智隆雄は細田派ですが、今回の総裁選では河野太郎支持でした。

さらに越智隆雄も、河野太郎も日韓議員連盟に所属しることが分かっています。

で、韓国まで来ましたが、河野太郎は韓国とも関係があります。

河野太郎は過去に韓国人秘書の李成権を雇っていたことが知られていますが、これも根拠がなくやったことでないことがわかりました。

雑賀衆に話を戻すと、こんな説があるようです。豊臣秀吉が起こした、文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下として朝鮮に渡ったものの、朝鮮軍に投降する羽目になり、日本軍とたたかった沙也可という集団があったそうです。金忠善という人物が雑賀衆の人物であるという説もあるとか。

沙也可=雑賀衆説
文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下として朝鮮に渡ったものの、朝鮮軍に投降して日本軍と戦ったとされる沙也可、朝鮮名を金忠善(キム・チュンソン、ハングル表記:김충선)と呼ばれる人物が雑賀衆の人物であるという説がある。小説などではよく取り上げられる説であるが、根拠としては雑賀(サイカ)が訛って朝鮮読みの사야카(サヤカ)と伝わったという説や、雑賀衆は文禄・慶長の役の戦列に加わっており、銃砲技術を精通している集団に属し、秀吉方に叛意がある倭人であることから、この説が浮上したと見られる。他にも日本の史料に鈴木善之という人物が雑賀衆に存在していた記録が残されており、善之が沙也可だと仮定すると金忠善の名は、善之から取った可能性も示唆されている。あざなとして「善之」を名乗っていることが確認てきている。

引用元:雑賀衆 Wikipedia

で、河野太郎の父親は河野洋平でした。この河野洋平は石原裕次郎とそっくりでした。

で、石原裕次郎と松田聖子との間に子供ができ、その子供が神田沙也加という噂があります。

神田沙也加の父親は石原裕次郎?!

昔、聖子と石原裕次郎は付き合っていた

出典:http://blog.livedoor.jp

聖子は芸能界でトップになる手段の一つで・・・。

出典:http://blog.livedoor.jp

聖子が妊娠をしてしまい、おろすことはせずに産んだのが、娘のさやかだ

出典:http://blog.livedoor.jp

石原裕次郎は奥さんとの間には子供が出来ず、自分の子供欲しさに産む事を反対せず

出典:http://blog.livedoor.jp

でもその事はもちろん一般人にはばれないように業界関係者は知っていてもシークレットになり、子供の父親に仕立て上げるのにもってこいの神田正輝が指名された。

出典:http://blog.livedoor.jp

恋愛関係を作り出すために聖子と映画で共演させて、偽装結婚させた。

引用元:神田沙也加の父親は石原裕次郎?!  神田沙也加の父親は「石原裕次郎」だった?!衝撃の事実が発覚

現に石原裕次郎と神田沙也加は結構似ています。

神田正輝と神田沙也加も似ているという声もありますが、もともと石原裕次郎と神田正輝は親戚同士だったのでしょう。だから似ていてもなんらおかしいことはありません。これも、血筋を残すためにやったと推測できます。

何か、分かりましたか?そうです。沙也加です。先程 雑賀衆が沙也可であることについて触れましたよね?

河野太郎の父、洋平と石原裕次郎がそっくりで、石原裕次郎と松田聖子の子供が神田沙也加。

これもまた関係があるとしか言いようがありません。

現に石原慎太郎と裕次郎の兄弟は愛媛県八幡浜出身だと言われています。愛媛県といえば、伊予の国ですから、河野氏と関係があっても何ら不思議ではありません。

石原新太郎と石原裕次郎と八幡浜
by 浜っ子

昔から「石原慎太郎と裕次郎の兄弟は八幡浜出身だ」という大人たちの声を良く聞いた。
半信半疑で聞いていたが、一時期八幡浜市いたのは確からしい。

彼らの父親は長浜町出身。どうやら叔父叔母が八幡浜に住んでいて、
戦時中疎開児童として八幡浜に身を寄せていたということらしい。

それで一時期、小樽をまねて八幡浜にも”裕次郎記念館”を作ろうという動きがあった。
今はどうなっているのか知らないが、石原兄弟が少年期の6年間を過ごした小樽と比べるとチョット繋がりが貧弱なのは否めない。

慎太郎さんあたりが「八幡浜の思い出」でも書いてくれると少しは現実味が出るけれどね。

引用元:裕次郎・慎太郎と八幡浜 Kei’sブログ 愛媛のうわさ話

山下亀三郎の実家で画像全部がその屋敷、この地区の庄屋・山下家の7人兄弟の末子として慶応3年4月9日に生まれた。日本の三大船成金の一人で、勝田銀次郎、内田信也、山下亀三郎を言う。山下汽船は現在商船三井となっている。
秋山眞之とも親しい間柄であったので日露戦争が間近にせまっており民間船も徴用される事を察知、山下は喜佐方丸を購入これが山下汽船の大きな発展の原点となった。
石原慎太郎・裕次郎の父親は、愛媛県大洲市の出身で、山下汽船に就職した。石原一家が逗子で最初に住んだ家は山下汽船創業者山下亀三郎の別邸であった。
秋山眞之が逝去したのは小田原市である。山下亀三郎の小田原の別邸で腹膜炎で亡くなった。当時小田原には腹膜炎を治す医者が居なかったそうだ。
何故眞之は小田原に居たのか、それは山県有朋にこれから日本の国造りは山県さんが中心になって行われます。その中で米国とだけは事を構えない日本を創って下さい。物量豊かな米国と事を構えると(戦争)日本は滅びます。・・この事をお願いに・・山県有朋は小田原の別宅に居たからである。

引用元:第54回愛媛マラソン 3 ⇒ 表彰式  EEKの紀行 春夏秋冬 

で、石原兄弟の父親は愛媛県大洲市の出身で、山下汽船=現在の商船三井に就職したとあります。三井=すなわち群馬人脈ですから、ここでも繋がってきます。

冒頭にあげた、岸田文雄の叔母玲子は宮澤喜一の弟と結婚。宮澤喜一の父裕も山下汽船に就職しています。

今回の総裁選も水軍衆関係だっということです。

また、石原慎太郎には在日・同和部落出身の疑いもありますが、これも前述の沙也可に繋がってきます。

都知事、石原慎太郎も愛媛の部落民説(未確認)
知事をしてる「○原慎○○」さんも兵庫のある所で生まれたらしい
石●慎●郎、部落説は、●原本人は愛媛の士族と、ごまかしてるらしい。
本人のHPや知事選のパンフには、普通は候補者は出生地いれるが、何か
隠してるような感じだ。
朝鮮帰化説もある
石原慎太郎の祖父が朝鮮半島からの流れ者で
慎太郎はよく、朝鮮人差別的発言で真実を撹乱
するが、奴こそが統一教会のロボットなのである。
奴は、末端の狼藉を働く韓国人などを批判しても、韓国政府を論理的に批判した 事がない。
石原の妹(石原まき子)は朝鮮人、石原本人にも部落疑惑。
石原は民団擁護でしょう。

引用元:7月14日 破壊屋-日本を取り戻すためのLog-

現に、石原慎太郎は韓国の政治家である丁世均 (チョン・セギュン) にそっくりです。

左:石原慎太郎 右:丁世均(チョン・セギュン)

さらにXICA(サイカ)という企業がありますが、その会社の役員に収まっているのが竹中平蔵でした。

竹中平蔵も李家の血筋を引いていると言われていますので、「沙也可」と関係があるかもしれません。

竹中平蔵=サイカ=雑賀=沙也可と繋がってきます。

また、竹中平蔵では一部では李平蔵という在日名を持っていると言われています。

また、竹中といえば、竹中半兵衛 (竹中重治) で、豊臣秀吉の軍師を務めました。

竹中半兵衛(竹中重治)

竹中 重治(たけなか しげはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛(はんべえ)。父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従弟に竹中重利(府内藩初代藩主)。

羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の参謀として活躍し、黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「両兵衛」「二兵衛」と称された。しかし、軍功に関する逸話や美談の多くは後世の創作によるものと見られ、史実上の実像が不明瞭な人物である。

引用元:竹中重治(竹中半兵衛)

また、竹中重治は「千年」と言う花押しを使用していることがわかっております。

竹中重治のWikipediaの花押しのしたに「平和への願いがこめられているといわれる」とありますが、竹中重治(竹中半兵衛)が実現できなかったことをSDGsにして実現しようとしているのかまではわかりません。

豊臣秀吉の股肱の家臣に蜂須賀小六という人がいます。

蜂須賀=蜂+須賀⇒菅義偉とも繋がってきますね。蜂須賀家は生長の家教祖谷口雅春と繋がり、横須賀は小泉家と繋がります。今回は割愛しますが、蜂須賀家の家臣は稲田家で、稲田朋美とも繋がります。

菅義偉の先祖蜂須賀正勝と竹中平蔵の先祖竹中半兵衛は豊臣秀吉に仕えました。だから、菅義偉が竹中平蔵をブレーンとして使っていたのは無関係ではなかったはずです。

しかも、菅義偉はRapt氏に対し、創価学会員を使い、集団ストーカーをして嫌がらせをしました。

その集団ストーカーにも竹中平蔵が関わっていることが暴かれています。

河野太郎が落選したので、水軍衆による工作は失敗しましたが、岸田文雄は一説によると頼りなく、優柔不断と聞きますから、岸田内閣がうまくいかないのは火を見るよりも明らかです。

また、岸田文雄もシンガポールの政治家で大富豪のリー・クアンユーにそっくりで、李家の血筋を引いていることが明らかになっております。彼も李家のための政治を行うことしか考えていない可能性が高いです。

この岸田文雄は製薬産業政治連盟にパーティー券を購入してもらっています。菅と同じくワクチンをごり押しし続けると思います。

また、水軍連中は鉄砲を使っていたということは、鉄砲をワクチンに置き換えて、敵を討ちたいということなのでしょうか?いずれにしても迷惑な話ですね。

最後に、彼等「河野太郎・高市早苗・岸田文雄・野田聖子」の正体については以下リンクをご覧ください。

河野太郎一族が「日本端子」を通して中国共産党と利益相反の関係にあることが発覚し大炎上

河野太郎一家は、指定暴力団・山口組とズブズブの関係にあることが発覚

河野太郎が、中国人によるウイグル人権侵害行為(大量虐殺・拷問・強制労働・臓器狩り・人身売買etc..)を公に容認

河野太郎はやはり中国人=李家!! 従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」を容認し日本を貶め、靖国神社参拝反対で批判殺到

【自民党総裁選】岸田文雄はシンガポールの初代首相「李光耀」の親戚、かつJAL123便を撃墜した「九鬼家」の血筋である可能性大!!

日本人モドキの河野太郎と高市早苗「ロックダウン」の必要性を訴え、日本経済を破綻させ、中国人=李家による日本乗っ取り加速へ

中国マフィアの子孫・高市早苗に、天理教へのお供え金で公職選挙法違反の可能性浮上 ネオナチ団体やパソナとの怪しい関係、創価学会ともズブズブ‥次々と暴かれる“素顔”

【やはり自民党総裁選は中国人のお祭りだった】高市早苗も中国マフィア青幇のドン「杜月笙」の子孫である可能性大!!

【自民党総裁選は中国人のお祭り】夫が元暴力団員の「野田聖子」は、習近平国家主席の隠し子である可能性大

【ポスト菅の政治家生命終了】野田聖子の夫は「元暴力団員」と裁判所が異例の認定 懇意のGACKTも体調不良

次期首相候補 野田聖子、公職選挙法違反ツイートで大炎上

【次期首相候補?】野田聖子は板垣退助と親戚 GACKTコイン詐欺にも加担

彼等の滅びを心から願います。